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海洋放出が始まった令和5年8月24日は忘れられない日となるだろう

気持ちが乗らないのは暑さのせいだけではない。
令和5年8月24日、あの海洋放出が始まってしまった。

いやもうすでに今までだって
放射性物質は地下へ川へ海へと流れ込んでいたであろう。
その事実を知りながら地球に対して「ごめんごめん」と思いながらも
この地球の再生力を祈るしかなかった。

安全性、説明、科学的、賠償、
今だけ金だけ自分だけの
そういった言葉を聞くたびに
自分の感覚とのずれに心が傷つく。

物事を決める時は
7代先のことまで考えて熟考せよ
というネイティブ・アメリカンの姿勢。
これが人類がこの星の一員で居続ける
ための条件なのではないか。

日本もかつては先祖代々を敬い
自然に生かされているのだという認識のもと
自分の孫やその先の代のことまで考えて
生活を営んできたのではないだろうか。


とにかく時間をかけてそのエネルギーが
弱まっていくのを待つしかない放射能。
だからタンクや地下などに貯めて
そこからいかに出ないようにするか
という方法が最善なのではないかと思うが
なぜその方法をとらないのかというのは
貯蔵率がどうのということではなく
この先日本が行おうとしている
核燃料の再処理工場の稼働とともに
そこで行われる海洋放出の
足掛かりをつくりたいからであるようだ。

権力のある人たちにまっとうな判断を
してもらいたいのはもちろんだけど
権力者を選ぶのは国民だし
選ぶ権利すら放棄してしまうのもまた国民。

それから電力をどう確保するかという
議論ばかりしているけれども
どうやって電力の消費を抑えるかという
議論があまり出てこない。
そしてどう抑えるかというのは
家庭での節電レベルの話ではなくて
人類として生活スタイルをどう変化させていくか
という話だ。
「便利になり過ぎた」
「物より心の豊かさを」
人々は、自分は、そう言いながら
車に乗り、エアコンを回し、スマホを充電する。

考えるたびに気分が落ち込み
絶望にも似た感覚になる。

しかし少しずつだが
ぼくの周りでは変わり始めている。
衣、食、住、考え方に共感し合える人たちとの間では
少しずつ変わり始めていると感じる。

電力は足りる。
化石燃料も減らせる。
その設備自体が地球環境への
ダメージとなってしまう再生可能
エネルギーにも頼り過ぎない。

情報を鵜吞みにしない。
今だけ金だけ自分だけではないか
と考えを巡らす。
目立つ出来事があったときほど
見えなくなっているものは何かに
意識を向ける。

「大丈夫だ」
と自分に言い聞かせ
今日も前に進む。

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