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ながめくらしつ昔の話2

さて、堀の外のジャグリングを終えて、単独公演をしたいとなったは良いのですが、劇場の借り方も、舞台をやるためには、どこにどんな人が必要かも何もわからない状態だったわけです。今では考えられないですが、舞台監督ってなんですか?くらいの。

とりあえず会場は馴染みのある門仲天井ホール(第一回、第二回の堀の外のジャグリングの使用会場)にして、音響は生演奏で生音だから大丈夫でしょうとなり、受付は当時、小春がやってバンドのメンバー。チラシとかwebは小春の両親に。照明だけは自分たちの周りの人では、どうしようもないということで、ホールの人に頼んで紹介してもらうことにしました。そんな感じで、とりあえずは何だか公演が出来そうな雰囲気になりました。

そして問題の中身なわけですが、初演メンバーの池部さんは仕事が忙しいかったりして辞退。松田くんはOK。もう1人は当時よく一緒に練習していて、割と色んな道具が出来る鈴木拓矢に声をかけました。音楽に関しても、もう1人いたほうが良いなということで大道芸フェスで、よく一緒になっていた長嶋ちゃんことサックス奏者の長嶋岳人を加えた5人メンバーとなりました。

当時、1時間以上のジャグリングの作品は池田洋介さんとやった「PLAY」という作品の1回しかやったことなくてチームのジャグリングで、どうやって作ったら良いかなんてよくわからなかったわけです。ちなみに池田さんとやった時は月に1回集まってネタ出しを数回やって直前にがががっと作るというやり方だったので、がっつりチームで長時間って、この時が初めてだったのです。

今では信じられないですが稽古の時に動画も撮ってなくてメモも書いてなくて、もうあまり覚えてないのですがよく作ってたなと思います。昔は今より稽古期間も回数も多かったので忘れる前に次の稽古があったのでしょう。あと若かったのでしょう。今は動画撮らないなんて恐ろしくて出来ません…。

もし今、若いジャグラーが舞台公演をしたいと思っていても色々わからなくて、なかなかやろうという気になれないなら、一つ言えることは最初は勢いで何とかなる、ということです。だって作品の作り方も公演のための準備も何もわからずにやっても、何とかなったんですもの。もし、わからないことがあって困ったら何でも聞いてください。

この作品は再演していて、その時の映像は残っているのですが、初演は映像も残してなくて完全に観た人とやった人の記憶にしか残っていないものなのですが覚えている限りの情報としては

・上演時間は多分70分くらい

・公演回数は3回で全公演満席で160人くらい

・稽古期間は4ヶ月くらい

・終わった後は、もう辞めたいと思った

くらいでしょうか。辞めたいと思っていたけど今でも続けているのは小春に、またやった方がいいと言われたことが大きいと思います。小春には感謝しないといけませんね。

と、記念すべき?初の単独公演は、こんな感じでした。実はこの作品はタイトルを決めていなくて、ただ単に、ながめくらしつっていうだけだったんですよね。まぁ、今はタイトルも「ながめくらしつ」でいいか、というノリです。

次回は2011年の話でしょうかね。ジャグリングの練習とか他のことについても、そろそろ書こうかな、なんて思ったりもしてます。

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