見出し画像

映画「レミングたち」の覚書 | #10 源ビンカン

「レミングたち」で録音を担当してくれたのは、関西弁で喋り倒すベトナム人、ビンカンくんです。

異郷にて・2

2017年、ロサンゼルスのLos Angeles City Collegeという学校に留学をしていていました。映画学科の校舎があって、そこの掲示板には生徒によるインディーズ映画のスタッフ募集や教科書の売買などの張り紙がたくさん貼られていました。

画像1

知り合いもほぼ居なかったので、恐る恐るMOYという謎の人物に連絡を取り、メキシコ人のおっちゃんがでかい車で現れて、ちょっと(かなり)ビビったのを覚えています。でも僕の拙い英語を急かすことなく聞いてくれて、とても親切にしてくれました。そんな彼の現場である日、関西弁が聞こえてきました。そこで初めて源ビンカンくんとの出会いました。滋賀仕込みの関西弁で、彼の方が数年早くアメリカに来ていましたが、滋賀県出身であること、同じ学校の生徒であることなどを知り、とてもホッとしました。気さくに接してきてくれる人で、鬱々として居た当時は本当に救われました。

ビンカン9-1

時々学校でも顔を合わすようになり、親交を深め、彼が監督する作品の撮影をしたこともありました。いつも朗らかで楽しげに見えて、繊細な一面もあり、壮大な物語を思い描く夢想家で、お互い将来のことに思い悩みながらも夢を語らいました。

ロサンゼルスから帰国するとき、空港まで車で送ってくれたのも彼です。「また会おう、また何か一緒に作ろう」と握手を交わして、一足先に帰国しました。

ビンカン7-1

おしゃべりクソ野郎

それからしばらくは稀に連絡を取る程度で、1年ほどの間が空いて彼も日本に帰国しました。僕は東京で、彼は実家のある滋賀に帰っていたのもあり、なかなか再会することは叶いませんでした。

「レミングたち」のロケ地は静岡県を予定していたので、関西からも来やすいかもしれないと思って彼にスタッフとしての打診をしてみました。

もちろん映画学校に通っていたので、映画技術に対しての一通りの知識と経験はありましたが、決して彼は録音技師としての専門的な技術を身につけているわけでもないし、将来それを目指しているわけでもありませんでした。それでも、今回「レミングたち」に彼こそどうしても参加してほしいと思って声を掛けました。思い悩み、足掻き、でも懸命に生きようとしているビンカン君のことが僕は大好きで尊敬しています。勝手なエゴ、余計なお世話かもしれませんが、レミングたちのエンドロールにどうしても彼の名前も刻みたいと思いました。

彼には彼の生活があるので、6日間も拘束するはかなり大変だったと思いますが、それでも快く参加してくれました。

チームLA

「ビンカン君も来るよ」と伝えるとマサキさんは「まじか、あのおしゃべりクソ野郎来るのか」と口は悪いけれどものすごく嬉しそうにしていて、彼の愛されている人柄を感じました。

ちなみにビンカン君はおしゃべりな印象が先行していますが、実際はかなりシャイな人で、初対面だとあまり話さず、どちらかというと寡黙な雰囲気です。でも女の子が居るとよく話します。おしゃべりクソ野郎め。

ビンカン4

良き友人です。もしまた彼自身が何か作品を作ろうとする機会があれば、即座に駆け付けたいと思います。


次は、寺本慎太朗くんについてです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?