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せめて私だけはあなたの隣で紅茶を飲めるように。

こんばんは。
久しぶりにこちらのアカウントで投稿しよう。

職場で使っている、
HHKB Professional 2(型落ち)を使う時間が長すぎて、
家にあるhybrid type-sが少し物足りなくなってきた。

値段はhybridの方が2万円ほど上回るのに、
打ち心地や音を比べるとやっぱり人間慣れた方を使いたくなる?
そんなところがあるみたいだ。

東京に住み始めて4ヶ月ほどが経過しようとしている。
最近思うことは、
とても退屈な街だと思うことが増えた。

アーキテクトに造られた空間や、
社会の物悲しさ。

合理的かつ計算可能化しようとする社会システムの人間排除。

最近思うのは、
誰も何も変わらないということ。

忙しそうな上司も私利私欲全開の社長も、
常に確実な仕事をする先輩も楽しくなさそうな同期も。

皆何も変わらない。

皆がシステムのカケラとして機能している。

会社や社会が作り上げたシステムの上で、
誰もが疑問を抱かないまま、
それはわたしの思い違いかもしれないが、
疑問を抱こうとしないまま時間が過ぎていく。

世の中社長なんてのもシステムのカケラで、
そこから一つ上の段階に登る前に私利私欲に塗れている。

はっきりいってクソだと思う。

人間みな欲求には勝てないものだ。

お金・異性・食欲

さまざまな欲求にそれらしき論理を与えて、
いかに計算可能で合理的かを突き詰める。

その中でほとんどの人が生活し、
そこそこの満足感を得る。

やめたい。

これを読んでいただいている方が少しでもいるとすると、
全く興味も関係もないと思うが、
最近は俯瞰と主観の両輪の中でエネルギーを燃やせていた、
ニーチェ的にいえば超人のような感じーー
であったが、
結局それもまた円環のポジショントークに過ぎなかったということだ。

そこから抜け出ることは、
わたしは死ぬこと以外に未だ解を持たない。

今は勤め人で、
いつかはわたし自身が思うような形で稼ぎたいと思っているが、
そうできるようになれば今の円環から抜け出せるのだろうか。

経済的側面と知的側面の両輪を形成し、
そこに注ぐエネルギーに集中したとして、
結局欲と快楽が人生を動かすのだろうか。

人間、
一見そういった俗から抜け出せないようだが、
一部の人に限ってははっきりと「ない」と言える人がいる。

らしい。

今のわたしからは全く想像ができないのだが、
そういう人もいるらしい。
会ってみたいものだ。

しかし少し救われた側面があるとすると、
そういった側面はありつつも、
同僚や先輩の家族や恋人、生活や奮闘している人の話を聞くと、
純粋に「良いな」と思うことはできるという点だ。

こんな社会でも、
こんな会社でも、
皆それなりに幸せそうな一面を持っていることを会話の中で
確認できると、
私はそれなりにその人に対してはほっとする。

一転して自身のことを見てみれば、
もしかしたら他者からは不安がられるような側面があるかもしれないが、
私個人としては、
そういった俗の中でも幸せを見出すことのできる皆の強さを、
見習いたいと思う。

確かにクズもいる。
どうしようもなく私利私欲に塗れ、
自分中心なのは良いが相手に不快感をもたらす、
決して私がその側面がないとは言い切れないが、
しかしそういう人間というのはいる。

全くもって見苦しい。

社会のクソなところはたくさんあるのだが、
最も厄介な側面の一つとして、
「年齢が2回り以上うえだからといって、
 人間として優れているとは甚だ限らない」
ということだ。

特に現代社会では、
お金をどれだけ短期間で効率的に多く稼ぐかということが、
ある種の指標になっている。

それは経済合理性に富み、
経済合理性は一見して成功もしくは充実したような側面を見せ、
人の承認欲求を満たし、
また掻き立てる。

妬み、嫉み、憧れ、再生産される。

クソだと思う。

経済合理性が悪いといっているのではない。
状態の問題だ。

悪いものは一つもないが、
醜い。

その一言に尽きるだろう。

最近よく醜いなと思う一つのことは、
若いうち、できれば小学生の頃からメリトクラシー対策をしよう。
という社会の側面である。

これは本当にクソだ。

考えている大人の一方通行で、
子供のことなど何も考えちゃいない。

経済合理性を指標に自身の価値をできるだけスケールさせようと、
一心不乱に喰い物を探すのだ。

そんなことをしているから、
若年の鬱患者や自殺者数が多いということにいい加減気づこう。

双方の合意があればよい。
理念や深み、
時には双方の逃げ場というものがあるべきだ。

そういったものもなくただスケールさせるなどして、
欲望を美化するのはやめよう。

そんなことを私がここで言ったからと、
何一つ良いことはないが一つ思うことは、
早く脱落しようということ。

もう一つは、
せめて私はそれに抗うポジションをコミュニティで担おう
ということだ。

そういったコミュニティに属して人間の所属欲求を満たすもよし。
そうでない合理性のコミュニティに属してかき乱すもよし。

人間というのはとても理性が備わっているとは思えず、
頭の良い人間から順に欲望に飲み込まれていく。

私は心底、
バカでよかったなと思う。

もちろん私はバカなので、
欲望を発揮したいと思うことがないわけではない。

それでもせめて、
他者を不愉快にさせたくはないなと、
それは翻って私自身の理念に反したくないなと思う。

皆の大事なものを見ずに、
私自身の欲望を発揮することだけはやめようと、
毎日そう思いながら日々、
いつ脱落しようかと考え、
自分にナイフを向ける。

読んでいただきありがとうございました。
では。

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