本論:一般の人による感情の概念化

感情の状態を分類するのは心理学者だけではありません。他の人との日常的な交流の中で、ほとんどの人は他の人の気分を解釈し、お互いの感情的な反応を予測し、それらの感情的な反応を修正しようとします。そうすることにおいて、一般の人は感情に関する彼ら自身の知識に頼らなければなりません。一般の人は感情について学び、その知識を認識構造へと組織化し要約しているのです。

結果として認識構造は、特定の出来事に対する視座と解釈を形づくる助けになっていき、「微妙なヒント」から「明示的な宣言」まで、感情を言語で説明する際に使われるようになります。それは、表情、声の調子、舌の滑り、明白な行動、顔を赤らめる、、、、など多くの手がかりを含む、非言語として表れた感情状態を解釈するのに使用されるでしょう。
そして(私の論文が後で発表されることを期待した上で)、「自分自身の感情状態を概念化し報告する」のに使われるようになると考えています。

人格理論や科学理論を持っているのと同じように、人々は「暗黙の感情理論」を持っていると言えるでしょう。確かに、一般の人の感情の認知的表現は、「その完全な概念的枠組みを明示的に述べることができるとしても、ほんのわずかである」という意味で、おそらく暗黙的です。つまり、感情に関してなされた「判断」から推測されなければない、という意味です。
体系的な方法で相互に関連付けられたカテゴリのセット(それぞれ幸せ、興奮、悲しいなどの用語でラベル付けされている)を含むという意味で、認知表現を理論のように考えることも有用かもしれません(暗黙の感情の分類法)。しかし、感情の認知的表現が他の点で科学理論に似ているかどうかは、まだわかっていません。 このトピックについて、より中立的な立場をとるために、私は単に「人は、感情を表すことができる認知構造を持っている」と言うつもりです。

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