「日蓮」と「宇宙」 Part②

前回「Part①」の続き・・・

それと、コレはワタクシの「勝手な洞察」であるが・・・

   ↓

「日蓮」がもうひとつ伝えたかったこと・・・

それは・・・

【 宇宙は無限である 】・・・

ということが、最も伝えたいことだったのではないか?

   ↓

そんなことは「知ってるよ」と、なるかもしれないが・・・・

   ↓

「無限」といったって、何がどうなれば、「無限」となるのか・・・?

どういう状態になれば、「無限」となるのか・・・?

それを判断できないのではないか・・・?

(まあ、自分自身が「無限だ!」と思えば、その瞬間に「無限」を体現しているのだろうけど)

   ↓

何か「目安」があれば・・・

共通の判断基準があれば・・・

皆が「無限」を体現できるのではないか?

と、思ったのである・・・

   ↓

そのときに・・・

ネットで別の調べものをしているときに・・・

ふと・・・

「数字の桁の名称(命数)」を目にする。

   ↓

そうか!

これだ!

   ↓

その一部はこんな感じ↓↓↓

まだまだ、桁は続くが・・・

   ↓

これを見たときに、「あっ!」となった。

   ↓

「日蓮」が唱えた(?)であろう、「題目」教本の中に・・・

・「阿僧祇」=あそうぎ

・「那由他」=なゆた

・「無量」=むりょう

・「無辺」=むへん

など(うろおぼえ・・・笑)

という言葉がでてくるのである!

   ↓

宇宙は「」であらわされる、ことが多い。

エンジェル・ナンバーとか。

「数」は、最も「宇宙」であり、

最も人の生活に密接している、といえる。

   ↓

「数学」となると、学問であるから、

式が出てきたりして、なんだかなんだとなり、頭はこんがらがる、かも?

でも、ただ単に「数」となると、この世界にはそこら中に「存在」している。

   ↓

とすると、「数」は「宇宙」の指標となるのではないか・・・

   ↓

「数」の「単位」=「桁」を「知る」ことで、

「宇宙」の大きさ、「宇宙」は「無限」である、ということを

「知れる」=「感じれる」=「知覚」できるのではないか。

   ↓

その「宇宙」の「数」を「題目」の教本のなかに取り入れることで、

その「題目」を唱えることで、「宇宙」にアクセスできる。

   ↓

そして、それは、誰でも、年齢関係なく、状態、環境も関係なく、

どんなときでも、いつでも、アクセスできる。

   ↓

「日蓮」は、このことを、【 最も伝えたかった 】のかもしれない。

   ↓

では、なぜ、それを「取扱説明書」のように、やり方=答えを記さなかったのか?

   ↓

思うに・・・

後世のために・・・

自分自身で「考え」させるために・・・

記さなかったのではないか?と思う。

そして、その「過程」は・・・

各々の・・・

「知りたい」と思うタイミングで・・・

掴めばいい・・・

そんな【 投げかけ 】・・・

なのではないか・・・

   ↓

『答え』はどうでもいい、のではないか・・・

それを【 知りたい 】・・・

【 感じたい 】・・・

そこへ行き着く「動機」=「プロセス」・・・

が、大事なのではないか・・・

   ↓

「日蓮」に・・・

そんなことを・・・

想う・・・

今日このごろである・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?