見出し画像

遊びは仕事じゃないけど、仕事は遊びだと思う

「お前は遊びの天才やな!」

子供の頃、じいちゃんに言われた言葉。
今になって本当にそうかもしれないと思うようになってきた。

僕は物心ついたころから本当によく遊んだ。
ひとりで、家族と、友達と、小学生と、異国人と。
家で、庭で、駐車場で、河川敷で、学校で、海川山で、日本で、世界で。

おもろい!楽しい!ずっとこうしていたい!
遊びの世界ではこんな興奮がたったひとつの価値基準だった。
この興奮に賭けた知恵と情熱とフットワークには自信がある。

ここで言っている遊びとは、与えられる遊びではなくて創り出す遊びだ。そして、遊んでいる競技やゲームそのもののみが遊びなのではなく、それを創り出すプロセスさえも遊びなのである。かの荘子は、何物にも囚われない主体的で自由な心の在り方を「遊び」と表現した。物事の間隙に潜むゆとり、その可能性に心躍らせることから遊びは始まっている。

思い出せば、遊びにはいつも正解はなかった。
そこにはただ自然があったり、ボールとバットがあったりした。それ以外は何もない。
何もないってことはなんでもありってことだった。ルールや勝敗や目的を作り、ゼロから自分の遊びの作品を作り上げることは何より楽しい。これは今思えば創造だった。

一方で、遊びにはいつも制約があった。
「人に迷惑をかけちゃいけない」
「みんなが楽しくなくちゃいけない」
「時間や予算が限られてる」
限られたものの中で最大の興奮をどう生み出すかを考えるのが遊びの真骨頂だ。これは今思えばマネジメントだった。

遊びは一人よりも二人、二人よりも三人四人。たくさんいた方が興奮のボリュームが大きくなる。そして、そこには必ず意思疎通があった。意見を出し合って一番面白い遊びを探った。遊びの下では皆平等でその興奮を等しく分け合える。これは今思えば協働だった。

「遊び」=創造×マネジメント×協働。
「遊び」を「仕事」に変えてもなんら差し支えない。仕事に必要な要素は遊びに全部含まれていたのかもしれない。

小学校のとき、ドブに落ちてたソフトテニスボールと空のペットボトルで野球をした。
中学校のとき、城跡で水鉄砲の戦を開戦した。
高校のとき、球技大会の準備体操を一大イベントに作り変えた。
大学のとき、地図を広げて貧乏旅に明け暮れた。

そして今、社会に出た。
価値基準はおもろいから人の幸せへと変わった。それでも状況は何も変わらない。
ここも正解はないし、制約はあるし、協働もある。

もっともっと遊べる。会社が遊び道具で、社会が遊び場だ。

さあ、本領発揮と行きますか!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?