「彗星は夜空を飛んでいく」(第102回聖翔祭 #3)

劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトまで見終えての二次創作です。
自分が次の駅に進むために作りました。

卒業してから初めての聖翔祭に来たはずなのに、キャッチボールをしている花柳香子(花柳彗仙)と愛城華恋のお話です。
「彗仙」という名前はこういう意味なんだと思っています。(公式の解釈が見つけられませんでした。) 以下本編です。



 聖翔でキャッチボールをしたことはなかった。
 それに、香子ちゃんとトレーニングのペアを組んだこともなかった。
 それなのに、いま私は香子ちゃんとキャッチボールをしています。聖翔の校庭の隅で。
「華恋はん! 今くらいでええ?」
 香子ちゃんの投げた――というより勢いよく転がしたボールが足元の辺りで止まる。そもそもこれをキャッチボールと呼んで良いのかもわかりません。
「うん! 大丈夫!」
 大丈夫だけど、大丈夫じゃない。

 第一〇二回聖翔祭。卒業生として客席に座って見る、初めての聖翔祭。
 三月六日土曜日の、開場は午後一時で開演は午後一時半。
 その日は、朝から荻窪駅の近くでオーディションがあって、それが十時半に終わってしまったので、早めのお昼ご飯をとってもまだずいぶん時間があった。それで駅の周りを歩いていたら、バッティングセンター――二年前、二年の聖翔祭当日にホームラン賞をとったあそこ――が見えたので、久々にチャレンジしてみたところ、あの時の素振りの成果はまだ活きていたようで、またホームラン賞をもらえてしまった。
 今回は、そこのロゴ入りの野球の球だった。しかも三つ。しかも特製の化粧箱入り。
 おかげでリュックには入りきらず、ビニール袋に入れてもらうことにした。
 ――これ提げて観に行ったら、それこそ二年生の時みたいに呆れられるかな……
 なんて考えながら荻窪駅の構内を抜けていると、改札を抜けて出てくる人込みの中に、見知った人影を見つけた。
「香子ちゃん!」
 その人は立ち止まると、ゆっくりと振り返ってびっくりした表情をこちらに向けた。
 香子ちゃんと会うのは、ほぼ一年ぶりだった。
「双葉はんが、遅れたら洒落にならんから絶対に一本早いのに乗っときいうて聞きひんから、そうしてみたらこうやわ。」
 ショルダーバッグ一つだけ肩に提げて歩く香子ちゃんは、たったいま京都から来ました、という感じをあまりさせない。
「けど、一本早めただけにしても早くない?」
「先生方にご挨拶せんといかんから早めに行かなあきませんやろ。華恋はんは違うん?」
 櫻木先生には会っとこう、くらいのつもりでした。ごめんなさい。
 それで、ここからは香子ちゃんの背中を追おうと決めた。(その矢先に香子ちゃんがごく自然にタクシー乗り場に向かったのでさっそくびっくりしちゃったけど。「うちが乗りたかったんんやから気にせんで」って言ってくれたけどさすがに気にします。)
 聖翔音楽学園に着くと、校門に職員室、劇場入口や休憩所などあちこちに散らばる先生や関係者に一通り挨拶をしていったけど、もちろんみんな忙しくてゆっくり話すこともできず、やっぱり開場までは時間ができてしまった。
 そこで、香子ちゃんからようやく突っ込まれた。
「そういえば華恋はん、まひるはんとまた野球でもするん?」
 それで事の次第を話しているうちに、なぜか今に至るということになる。


「手ぇケガしたらことやし、華恋はんも優しゅう投げてな。」
 改めてそう言われたのもあり、ゆるい下投げで球を香子ちゃんのもとへ送る。
「野球したことあったっけ、かお――」
 と言ったところで言葉が止まる。
「ごめん、彗仙先生って呼ぶのが正解?」
 受け取られた球は、再び私の方へ転がって送り返される。
「ええよ、香子で。あんまし周りに名跡聞かれても変に注目集めるだけやし。」
 香子ちゃんからの球は、さっきと同じように私の足元までやってくる。
「野球はないなあ。ボールでもなんでも、追いかけるのは性に合わんわ。」
 その球を手に取って顔を上げると、香子ちゃんが少し遠い目をしている。
その姿を見て、ふと思いついたことを尋ねようとして「ねえ」と声を掛けると同時に香子ちゃんから「なあ」と声が飛んできた。
「あ、なに。香子ちゃん。先いいよ。」
 球を送る。その先に立つ香子ちゃんは、ちょっとしょげ込んでいるようにも見える。
「いまさら聞くのも何なんやけど。ひかりはんとの約束、約束? あったやろ。」
 私がおずおずとうなずいているのは、見えているだろうか。
「約束がのうなってからって、どんな気持ちというか、どうやった。」
 その唐突な問いかけに、何をどこからどう言えば良いのかわからずにいると、香子ちゃんが不意に球を送り返してきた。
「堪忍な、急に変なこと聞いて。別に心配させるようなことはあらへんのよ。ただ……ちょっと聞いてみたなったんよ。うん、『のうなった』いうんもちょっと違いますな。約束が、変わっていってしもたのを、どういうふうに思っとったんかなって。」
 私とひかりちゃんの約束。約束? うん、とりあえずここでは約束。
 その約束は確かに一度、二年前の聖翔祭で達成したことによって「なくなった」と表現するのが正しい面もあるように思う。
 それを「変わっていってしまった」と言い直したのは、香子ちゃんの側、香子ちゃんと双葉ちゃんの約束、約束? では、その表現の方がしっくり来るからだろう。けど、それがどんなものでどれほどのものか、私には語ることができない。
 そして、それと同じくらい、自分のことも言語化できる自信があまりない気がしてる。
 してるけど、でも語ることができるのはただひたすらに自分のことだけだから、
「うーん……」
 握った球を返しあぐねて、無意識に手の中で遊ばせる。
 ふと、球を真上へ投げる。手を離れた球はやや厚い雲の覆う空へ向かい、やがて再び手のひらの上に帰ってくる。また投げては、キャッチする。それを何度か繰り返す。
 その何度目かの時、背後からびゅうと強い風に吹かれた。ちょうど頂点に着いたところだった球は追い風に吹かれて、それまでの軌道をわずかに逸れたので、私はそれを見ながら一、二歩前に出て再び球をつかむ。
 その勢いのまま少し力を込めて、香子ちゃんへ球を送る。
「怖かったと思う。けど、歩き続けてることの表れなんだと思ったら、そういうものかって思えるようになった、気がする……かな。」
 なんだか全体的にコントロールがいまいちだったような気がしたけど、球の方はちゃんと届いて香子ちゃんが難なく自然に受け取ってくれた。
 けれど、今度はその香子ちゃんの方が、球を握って考えに耽るように少しうつむく。
 ちょっとして、ふっと私の方を向く。眉尻が下がっているのに口角は苦しげに上がっている。
「いや、おおきに。うちもまあ、そないなこと考えとったんやけど、やっぱ華恋はんの口から聞いて良かったわ。余計にすとんと来た気ぃしますわ。」
 香子ちゃんが下投げの姿勢に入る。
「うちと華恋はん、意外と似たもん同士やったのかもしれへん思てな。」
「えっ、どこらへんが……?」
「そらまあ……お寝坊さん同士やったとことか!」
 再び転がすように球を送り返してくる。今までよりもスピードを保ったまま、足元までやってくる。
「華恋はんの番!」
「え?」
「聞きたいこと、あったんやないの?」
 もう良いの、と聞こうと思ったけど、香子ちゃんの表情がいくらか明るくなっているのを見ると、それも野暮な気がして言葉を引っ込めて、代わりにさっき言おうとしていた質問を取り上げる。
 右手の指先に力を強く込めて、ボウリングのレーンに送り出すように球を投げる。
「『彗仙』って名前、あんまり口に出さないよね。香子ちゃん。」
 勢いがつき過ぎた球は、そのまま香子ちゃんのロングスカートの下を抜けてトンネルしてしまった。球がずっと先で止まると、香子ちゃんはちょっとだけ早歩きでその方へ向かう。
 それから手に持って戻ってくるまでに時間ができると、急に恥ずかしさと申し訳なさがこみ上げてきた。
 なんというか、失礼っていうか、ぶしつけに踏み込んでしまったっていうか、これを言ったところで香子ちゃんに何を答えてもらえれば良いかわからないし、困らせてしまうだけなのは今考えればそのはずなのに、さっきはなんで聞こうと――
「さっきの見てて、そう思ったん?」
 顔を上げると、香子ちゃんがちょっと姿勢を崩して、腰に手を当てて私を見ている。
さっきの遠い目をした表情がまた少し影を見せた気がした。
 そう、そうだ。さっきまで色んな人から花柳彗仙と呼ばれていたあの時の――
「挨拶をしてる時の様子で……うん。」
 香子ちゃんが球を送り返す。
「まあ、そうそう軽々しく扱うもんでもないっていうんもありますけど……」
 球はゆっくりと私の方へ返ってくる。
「ただ、ここまで来たんやから、ここでの名前で呼んでくれてもええんやないの、って思っとっただけどす。」
 返ってきた球を拾って、再び香子ちゃんを見た時にまた表情が変わっていた。
 そういえば、駅で声を掛けた時にもこんな表情をしていた気がする。どこか、ちょっと晴れやかな、それでいて、意表をつかれたような。
「っていうても、『彗仙』いうん自体は気に入ってますからなあ。ほんまは入る入らんとかいう話やあらしまへんけど。」
 私から球を送ると、香子ちゃんは今までよりスムーズに球をキャッチした。始めた時より身体の余計な力が抜けているのかもしれない。そう思うと、こぼれる笑みですらさっきより柔らかくなった気がする。
「気に入ってるって?」
 またすぐに返ってくるかと思って待っていたけど、香子ちゃんは受け取った球をじっと見ると、さっきの私のように宙に投げ始めた。胸の辺りから顔の高さくらいまで、両手で投げてキャッチする。ここからだとお手玉をしているようにも見える。
「トップスタァには相応しいって、言いひんかった?」
 球がだんだんとより高く上がるようになっていく。香子ちゃんは、器用に私の方と球の上る先を交互に見て話している。
 そこに、星のように目いっぱい花びらを開くスイセンの花を重ね合わせてみる。
「スイセンって、なにか舞台に関係あるんだっけ。」
「あ、いま花の方を言うたやろ。ちゃいますよ。」
 香子ちゃんの投げ上げた球が宙を舞う。今度はまっすぐ真上には向かわず、細長い楕円のような軌道を描き、香子ちゃんの手元に戻ってくる。
「彗星の『彗』、これはまあ文字どおりほうき星の意味。それに仙人の『仙』やろ、」
「えっ、香子ちゃんって仙人なの。」
 投げようとした球を香子ちゃんが落としそうになる。
「うーん……こんな仙人おったら蓬莱がにぎわってもうてしゃあないやろ。」
 香子ちゃんはフォームを整え直して、再び球を投げ上げる。
「詩仙、歌仙って言いますやろ。要は傑れたアーティスト、トップって意味なんよ。」
 上手く飲み込めない単語がいくつもあったけど、ここまで聞いてなんとなく話の道筋が見えてくる。
「星の頂に立つ者、トップスタァ……」
 そうどす、と香子ちゃんが頷く。
「じゃあ、香子ちゃんに願い事唱えたら叶ったりするかな!」
 と言った瞬間、頷いていた香子ちゃんがバランスを崩してしまう。投げ上げていた球も取り損ねて地面に落ちて、慌てて拾い直す。
「華恋はん、そら流れ星やろ。うちのはほうき星。」
 私がきょとんとしていると、香子ちゃんが口をとがらせて続ける。
「彗星は燃え続けるんや。一度地球を離れても、長い間が空いても、必ず夜空に帰ってきて。そんときは普段から空に浮かんでる星を差し置いて一番注目浴びてお祭り騒ぎ。それが、彗星どす。」
 香子ちゃんが私に向かって、にっと口角を上げる。
「京都で世界一になるうちにはぴったりやろ。」
 その笑顔は、聖翔で見てきた香子ちゃんのもののようにも、いつか雑誌かSNSで見た千華流宗家・花柳彗仙先生のもののようにも見えた。見つめるうちに、その境目はどんどんおぼろげになっていく。
 つい、じっと見てしまってたのか、気づくと香子ちゃんが怪訝そうに私を見つめ返していた。
「なんやおかしなとこあった?」
 私は慌てて、何かを振り払うように、ぶんぶんと首を横に振る。
「ううん。これは負けてらんないな、って思って!」
 すると、香子ちゃんは――その時の表情は香子ちゃんだなって思ったけど――いたずらっぽい笑みを浮かべて球を転がして返してきた。
「せやよ! 華恋はんの次の舞台、はよ見せてえな。」
 その球を受け止めたところで、遠くから放送が聞こえてきた。腕時計は午後一時を示していて、開場が始まったらしい。香子ちゃんも気づいたようで、キャッチボールはそこで終わりにして、二人とも荷物を持って劇場へ向かった。


 その道すがら、言い忘れていたのを思い出す。
「そうだった。ひとつ決まってるのがあるんだ、公演。」
「なんや、はよ言うてくれへんと日程押さえられませんえ。いつ?」
「ごめんごめん、えっとね、五月十四日!」
 そう言うと、香子ちゃんが手に口を当ててにやにやしだして、それでようやく気づく。
「因縁の日やないですの。キリンの一頭や二頭、出てくるんとちゃいます?」
「そんなー! 去年は確かにちょっと意識してたけど、二〇二一年だよ? さすがにもう何もないってー」
「あらあら、そうやと良いけどね。」
 そんなことを話しているうちに、聖翔大劇場にたどり着く。
 ほかのみんなも来ているはずだけど、受付もロビーも客席もお客さんでごった返していて、とても見つけられそうになかった。しかも人波をかき分けているうちに開演時間も迫ってしまったので、とりあえず終わってから外で落ち合うことにして席に着いた。
 それからパンフレットを読む暇もなく、開演のブザーが鳴る。
 客席がだんだんと薄暗くなり、ざわめきが少しずつ静まっていき、やがて緞帳が開く。

 そして、私の知らない舞台が今から始まる。

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