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スタァライト舞台#4の感想ふせったーを開けていく

まえがき

ふせったー、便利ですよね。お芝居や映画を観に行った時にはいつもお世話になっています。

ネタバレ防止に大変有効なのですが、「読み返すのに一手間かかる」のと「検索サービスに引っかからない」のはちょっとデメリットかなと思っていました。というのも、今回の記事のテーマでもある「レヴュースタァライト」というコンテンツのことを知ったのが割と遅かったので、リアルタイムで体験した人たちの感想(より正しく言えば悲鳴)を追いかけづらい、捉えづらいということに、結構もどかしさを感じていました。

そんな自分が今、「リアルタイムで体験した人」の側になってしまっており、せっかくなのでまとめたものです。


以下、小見出しは投稿日時、本文の第1段落はふせったーの投稿(太字は伏せていた部分)、第2段落以降はふせったーの補足、引用部分は9か月経った今、それぞれの投稿を見直しての一言です。

2023/2/25 22:59

天堂真矢について、舞台版では従来誇りと驕りに満ちた人間ということが所与のものとしてあって、だから劇場版と違って彼女の人間宣言をする必要はなくて、その誇りと驕りの更なる展開に焦点が当たったのが文字数

愛城華恋と同じくらい「人間」になる経過をたどったと思うんですけどね、天堂真矢。

2023/2/25 23:10

西條クロディーヌについて、スタァライト概論でさんざん語られた人間・西條クロディーヌが汲まれるとは。双葉をわざわざ買い物に連れていく仕草、アフタヌーンティーの頑張るシーン。そこまで並行展開するのか。

2023/2/25 23:16

言いますからね!! ラスト、劇場版では折れた「思春期の可能性」を自らその手で置く。キャンディーズよろしく、演じきったレヴュースタァライトの主人公から自らを解放する。舞台だからこそ威力を持つ姿。

2023/2/26 17:53

キャンディーズじゃなかった!! 私が言いたかったのは山口百恵の引退コンサートです!!涙を流しながらマイクを置いて去っていくやつ!!

華恋が上掛けと武器(思春期の可能性)を置いたシーンです。

2023/2/25 23:23

花柳香子について、進路が決まっているようなものという属性が、アニメ版ではある種の弱みという性質を帯びてさえいたのが、舞台#4では自らの武器にして立ち向かった。花柳彗仙のそういう姿、確かに私は見たかった。

2023/2/25 23:29

戯曲スタァライト。第101回聖翔祭の脚本ではフローラが女神たちに塔を下りることを促している。その動きが劇場版ではなく舞台#4で描かれることとなった。いわば舞台#4が3年次の『スタァライト』だった。

2023/2/25 23:41

愛城華恋について。舞台版を見てみると劇場版での彼女が人間になる過程ですら「用意された」ものだったと思えてくる。舞台版での彼女が人間になる過程は自ら掴み取り、切り開いた道のように見える。

これはどちらが正解というわけではなくて。
もともとアニメと舞台で愛城華恋の造形に差異は少なからずあると思います(それは作り手の違いもあるだろうし、アニメ・舞台という性質上おのずから出てくるものもあると思う)。
その点、アニメでのそれにはやはり納得感しかありません。
一方で、もともと舞台版での舞台少女としての愛城華恋の始まりが、神楽ひかりを守るために「激昂」のレヴューに極めて能動的に、攻撃的に飛び込んだことを踏まえると、確かに舞台版において人間になるにはこうなるべきだったとやっぱり腑に落ちてしまう気がしています。

2023/2/25 23:53

ライブパートについて。劇場版を引き継ぐ形で九九組の卒業を描ききった舞台#4なら、テレビ版OP、ロロロ・劇場版EDをやった上で、舞台・アニメを通貫する「舞台少女心得」で締めにかかるのは確かに当然だった……

曲名も書きたかったけど文字数が足りなかった。
星のダイアローグ
再生讃美曲
私たちはもう舞台の上
どれも本当に良い曲。

2023/2/25 23:59

ライブパートについて追記。「私たちはもう舞台の上」の「たくさんの光届けるよ 一等星の明るさで だからきっと見つけてね 明日もあさってもずっと」、この舞台#4のテーマに直結する歌詞を神楽ひかりが歌う意味。

よりによって神楽ひかりが。
愛城華恋が歌ってくれていたほうがいくらか威力がマシだった。彼女が舞台#4を通じて主張し続けてきたこと、願い続けてきたことだから。
彼女の願いを、神楽ひかりが受け止めてくれていることを表す歌詞になってしまった。ああ。

2023/2/26 0:28

舞台#4まで見て、舞台版は本当にカップリングを意識せず、あくまで「9人」で捉えてるんだなあと実感している。首席・次席、京都組、という関係性で生じるものはともかく、まあ「じゅんななな」はどこにもなかった。

2023/2/26 0:38

忘れないうちに戯曲スタァライト追記。舞台美術に塔のモチーフ(上向きに狭まる2本線)とそこから平場までの階段が盛り込まれて、最後、華恋とひかりは階段を下って平場まで来た。フローラとクレールが塔を下りた。

2023/2/26 10:09

こういうのに弱いので、天堂真矢の絞り出すような歌い出しで始まるアレンジ版star divineで鳥肌立ったんですよね。劇場じゃなかったら悲鳴あげてた。


2023/2/26 15:39

ラストの演出の件、1日目ソワレ・2日目マチネとも上掛けも置いて帰ったのでそちらが本来っぽいですね。1日目マチネは外しきれなかった? だとしたらそれはそれで感慨深いというか。

以前にスタァラジオで小山さんが「私は舞台で上掛け落としたことないから……」的な笑い話をしていたんですが、その結果として外すのに手間取って「上掛けを外しきれなかった愛城華恋」が生まれたんだとすると、ちょっとそれもそれで良かったなと……

(注・追記)これは後日、手違いにより外せなかったことが明かされています。

2023/2/26 22:30

雪代晶が持参しようとした短刀、空港で止められて「日本人の誇りを捨てろと!?」ってやり取りするかと思ってたけど、しかるべき手続を踏めば手荷物として預けられるらしいので、その手続をする星見純那を想像してる。

2023/2/26 23:01

うわ!!! 東京生活で見えるイマジナリー香子に、普段は言い淀むようなこともどんどん言うようになっていって、久々に上京してきた香子(彗仙先生)に同じテンションで接して大喧嘩になる石動双葉!!!!

2023/2/27 8:47

アニメと舞台が相互補完している立場に立つと、舞台#4の前/以後で劇場版の見方が大きく変わる部分があるのが怖いけど面白いなと……エンドロールの新国立組3人の屈託のなさそうなスリーショットだけでもう。

星見純那も、雪代晶のお世話までしてるのにさらっと「楽しい」といえる胆力を手に入れたんだな……とか。
神楽ひかりが「ちゃんとみんなに逢えたんだ」と言われるのも、渡英後は華恋のオーディションで剣を交えあうだけできちんと話をする間もなかった経緯が込められているんだな……とか。

2023/2/27 19:06

言いたいことが次々出てくる。舞台#4初見でかなり衝撃だった「普通の喜び、女の子の楽しみを焼き尽くす」に相反しそうなアフタヌーンパーティー等々について。

色々と衝撃が多すぎて今まで言語化できてなかったんですが、西條クロディーヌのアフタヌーンパーティーと鳳ミチルの「あたしたち女子高生なんだから!」(大意)の発言、かなりびっくりしたんですよね。
アニメではテレビ版から劇場版まで一貫して言い続けてきた「普通の喜び、女の子の楽しみを焼き尽くして遥かな煌めきを目指す」舞台少女の舞台少女たる所以と、あまりに真っ向から相反しているように見えて。
入学前は放課後にドーナツ屋で同級生と会話を楽しむ余裕もなかった(劇場版)のに、卒業前にはクラスメイトと楽しくティーパーティ(?)をする(舞台版)のか? と。

現時点で、それに対する回答のような予感めいた何かはあるんです。
舞台#4の一つの軸に「学生」と「プロ」の対比という軸がある結果、よりはっきりと見えたんだろうなあ、とか。
そこには現に舞台に身を投じてきた演出の児玉さん、脚本の三浦さんの「舞台”少女性”」に対する様々な(あるいは複雑な)思いがさまざまあるのかなあ、とか。
そもそも「少女☆歌劇レヴュースタァライト」の観客である自分は、舞台少女が舞台に身を捧げて煌めきを放つ姿も、その舞台少女がある種のささやかな「普通の喜び」を享受している姿も、どちらも見たがっていたし、見てきたという矛盾をずっっっと感じてきてたんだよなあ、ですとか。

ここから先が言語化できなくなって立ち止まっていてもどかしいんですが、舞台少女をテーマにしているスタァライトにおいて、「普通の喜び」について正面から突きつけてきたのって、まあまあの事件だったと思うんです、という投げっぱなしのメモでした。
もう少し時間をかけて考えたい気がしてます。

2023/2/27 19:29

舞台少女と普通の喜びについて突き詰めた一つの答え、天堂真矢が華恋のオーディションで本当に楽しそうな表情をしていることな気はしてる。あれで二度泣いた。

2023/2/28 7:34

後藤早紀さんの演じる新国立の制作さんがバチバチに歌って踊る姿、「これが新国立……!」という衝撃を与えられて本当に良かったし楽しかった。願わくは、甚古萌さん演じるユウリの歌って踊る姿も見たかった。

だってユウリ(この表記で良いのか謎ですが)も、舞台のことは何もわからなくても、ほかのキャラクターに負けないくらい「星」の煌めきを真近に浴びて、寄り添ってきたわけじゃないですか(舞台の裏方のように、観客のように)。

もともと設えられた「舞台」もないところから音楽や身体表現が生まれていったように、舞台を知らない彼女が(メタ的ですが)舞台に立っていることで結果的に生まれる歌や踊りを見てみたかった、あったら嬉しかったなという気がしています。

後藤早紀さんの歌と踊りに揺さぶられた分だけ、その気持ちが強まっている。

2023/2/28 14:24

アフタヌーンパーティーのシーン、遠くから見て気づいたけど、途中で加わった真矢・まひる・双葉の3人に照明当たらないようになってる……? 恐ろしくない……?

2023/2/26 22:02

スタァライトの舞台#4で満身創痍の今考えている「climax」についてのメモ等
(ネタバレあります)

1日目のソワレ、2日目のマチネを連続で見ました。
(初回の衝撃に一晩揺さぶられ続けて、起きがけにstar divineを歌う天堂真矢の夢を見るくらいには頭がリセットできていないので、日をまたいでますが感覚的にはかなり連続しているんです。)
1日目ソワレ後に居酒屋でろくにご飯も食べずお酒をあおりながら泣いていたのもあり、今(2日目夜)のところ、胃もたれでご飯は普段の半分しか喉を通らないし、下り階段は気を抜くとそのまま転落しそうなくらい満身創痍な状態です。
健康管理のなってなさと、さすがにダメージを受けすぎている自分に引いてます。

でも、せっかくならそういう状況じゃないと出力できない独り言があると思ったので書き残します。
(さっきそれで一通り書いたら、あまりに惨くて醜くて情けない内容になったので、意味のありそうな部分だけ抜き出しました。)

いよいよもって九九組は「レヴュースタァライト」を演じきったんだなという感覚でいっぱいです。
「記憶をなくしてもう一度劇場版を観て新鮮な衝撃を味わいたい」が疑似体験できました。まさかピリオドを打たれる経験が2回も新鮮に体感できるなんて。 拷問か。

それでも、なぜか喪失感はないんですよね。
まだ神経が回復していないんだろうとは思います。
劇場版のときも遅効性の喪失感に苛まれたので。

ただ、本当に「終わった」と思ってるとしたら、6月の中等部舞台第2弾に石動双葉が出てくることにもっと違和感を覚えている気もするんですよね。実際、舞台#4を見る前のほうが違和感が強かった気がする。
今なら、ああ、それが石動双葉の次の舞台ね、くらいの感覚。
なぜだろうと考えたのですが、舞台#4で、9人は学生生活にピリオドを打ち(※)、3年間積み重ねてきた自信や経験が(進路や別離の不安で減じそうになるのを乗り越えて)最高潮の状態で新たなスタートを切った。

だから「climax」(最高潮)だったんだなあと思うと、サブタイトルにしっかりと、スタートした先、次の舞台が仕込まれているので、なんだか喪失感がないのかもしれないですね。ピリオドを打つということは、次の文章が書き出せるということでもある。
※愛城華恋がそうだったのかは議論の余地があるのかもしれませんが、そこを考え出すと終わらないので割愛します。

これまでの作品のサブタイトルを劇中で再生産してくるような物語にふさわしい強度のサブタイトルで、すごい〜という感慨に浸ってます。

来るべき喪失感に備えた防御反応が理屈をこねさせているだけなのかもしれませんが、まあそれは喪失感に飲まれた後の評価に任せてください。

あと全然関係ないんですけど、ななひか同棲って公式にできるんですね。
3月に頒布しようと思って書いている話のために、どうしたらその共同幻想に合理的な理由をつけられるか(だって神楽ひかりは寄宿舎住まいじゃないの!? なんで一緒に住めるの!?)考えてたんですが、あんな一瞬で片付くと思わなかった。そっちのダメージも大きい。


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