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彼女に振られたので山暮らししようかと思う。#9

総じて、掃除は役に立つ


失恋をしてからの3日間。私はひたすらIHコンロのこげつきを落としていた。
ただただ、少しでも気を紛らわしたいという理由で。
ため息を吐いてはガシガシと磨き、ため息を吐いてはガシガシと磨く。それの繰り返し。
IHコンロの焦げ付きときたら、まるで生まれた時からそこにあったみたいな顔でぴったりと貼り付いている。分子レベルで結合しているのではないかと本気で思った。
2本分のクレンザーとお酢、隕石のように丸めたアルミホイル。最終的には金タワシに頼らざるを得なかったが、全ての焦げ付きを落とすのに3日かかった。
我が家のIHコンロが、初めてやって来た時のようにピカピカと初々しい姿を取り戻した時には、私は思わず右手を突き上げて天を仰いだ。ラオウの最期みたいに。
我が生涯に一片の悔いなし。振られたけど。
彼らが「強敵」と書いて「とも」と呼ぶように、私もIHコンロの焦げ付きには嫌悪どころか感謝をしている。
失恋後の魔の3日間をなんとかやりすごせたのも、焦げ付きあってのことだと思っている。もしあの焦げ付き達がいなかったら、私はソファーに座ったまま地中深くまでめりこんで2度と浮上できなかったかもしれない。

失恋の対処法は、それこそ数多くあるだろうと思う。
失恋ソングに身を浸して思い切り泣いたりだとか、海に向かって叫ぶのもいいかもしれない。やけ食い、やけ酒だってこんな時には神様も目をつむってくれるだろう。
そんな中で、私は選択肢の1つとして掃除を提案したい。
掃除の良い所は、大して頭を使わない割に効果が分かりやすいという事だ。ただの単純作業でも多少は気が紛れるが、きれいになるという結果が目に見えて分かるのがいい。達成感もあったりする。掃除をして何か状況が悪化するということはほぼないと言っていいだろう。
少なくとも、私自身は多少なりとも救われたのである。

時を同じくして家を売りに出すことにしたので、キッチンのコンロを皮切りに、まるでドミノ倒しのように掃除の波が広がっていった。
12年もの間、本格的な掃除軍の侵略を受けてこなかった我が家は次々と陥落していった。分かりやすく言うときれいになっていった。
やることがあるというのは良い。
彼女を思い出す時間を、わずかかもしれないが確実に目減りさせることが出来る。

YouTubeのお掃除動画にも大変に世話になった。
メラニンスポンジを最終奥義としていたこれまでの私は、それが通じないとなるとなす術もなかったのたが、この世の中にはかくも多様な掃除テクニックがあるものかと衝撃であった。
一番感動したのは浴室の鏡だ。
中年の肌みたいにくすんで曇りまくっていたものが、まるで赤子の無垢な瞳のように輝いた。
内覧に来た者も、あまりの美しさに言葉を失い、膝から崩れ落ちる可能性だってある。マットをひいておいた方がよさそうだ。

そんな感じで、恩もあるゆえにずいぶんと掃除に関しては友好的に書いたものの、実を言うと私は掃除が嫌いである。
私が山暮らしをしたい理由の1つに掃除をほとんどしなくていいから、というのもあるのだ。
ツリーハウスを建てる予定なので、そこには室内という概念はない。あくまで「外」の延長であるからして掃除をする必要がないのである。
もし山で失恋するようなことがあれば、ひたすら薪を割ることにしよう。

長文になってしまった。
今日はこの辺で。

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