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6つの質問 ミニマリストがモノを買う時に自問すること

今日は盛岡駅前の喫茶店でモーニングを楽しんでいました。

ふだんは朝食をいかにシンプルにまとめるか腐心するのですけれど、週末になるとその反動からか、ちょっと違う場所で違うものを食べたくなるんですよね。

スクランブルエッグが絶品 ナガハマコーヒー店

晩ごはんと比べて、リーズナブルで、かつ健康的なメニューなことが多いモーニング。クロワッサンに、サラダ、フルーツ、そして挽きたてコーヒー。わたしのお気に入りです。

さて、食事の話題から離れて、今日は、昨日散歩をするなかで思い返してことを書きます。

買い物をする時に、「ミニマリストを意識している」わたしは何を考えているんだろうか?という疑問です。

ふだんから自然に頭に浮かんでいるようなことでも、他の人にとっては新しい発見になるかもしれません。
何しろ、自分にとっても、言葉にする機会は滅多にないことだからです。

今回は6つにまとめてみました。

思わずネットサーフィンしながらカートに商品を入れてしまう人。来週のAmazonプライムデーが待ち遠しい(怖い?)人。ご一読ください。


1 1つにできない?買わずに済ませられない?


同じモノを極力減らして1つにできないでしょうか?

一番多い例が、インターネットに接続する機器です。
ノートPC、タブレット、スマートフォン。場合によってはテレビからネットワークにつながるケースもあります。
もちろん使うシーンが違いますし、その時によってベストなサイズ感というものはあります。

その反面、1つの目的のために4つの「同じ用途の品」を持っている手間も感じずにはいられません。
数倍の出費、数倍の充電回数、数倍のスペース。本当に、その手間暇に見合った便利さを手に入れているのか評価したくなります。
ちなみに今は、インターネットはChromebook1台にまとめました。スマートフォンはガラケーに切り替え済みです。これは別の機会にお話します。

2 急かされてない?

例えばタブレット。

来週のAmazonプライムデーの「2日間だけ」格安で手に入ると分かったら、思わずカートに入れてしまう。そんな即断したことがないでしょうか?

わたしは何度もあります。その後にやってくるのは、
「お得に買えた」というその場の満足感、到着時のワクワク感、
そして、「よく考えたら、そこまで必要じゃなかった」という後悔です。

その買い物が、
「自分のニーズを埋めるために買うのか」
それとも、「売り手から提案されて(売り手の都合で)、商品を選ばされ、買うタイミングをズラされたのか」考えてみてはどうでしょうか。
自分に必要なものが絞られ、カートに入れる品が半減するかもしれません。

3 新しいモノは本当に良いもの?

新作のゲーム、新型のApple Watch、今年リリースされたばかりの新車。その見たことがないデザインに刺激されて、思わず所有したくなる気持ちが湧き上がってきます。

新しい品。それは、過去のトラブルや、意見を踏まえて、より改善されたものになる。
だから新しいものにほど、生活の質は上げてくれるはず。
こう考えてしまいがちです。さて、これは真実でしょうか?

約80年前に出版されたディストピアSF小説、『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー著)でこんなセリフがあったので引用してみます。

「古い服は嫌なもの」
「継ぎはぎするより次々捨てよう」
「わたしは新しい服が好き」

オルダス・ハクスリー すばらしい新世界

次々に新しいものに変えれば、すばらしい生活が約束される。そんな輝かしい近未来が描かれています。

しかし、同時にその背景にある思惑も別の口から語られるのがこの小説の素晴らしいところです。

曰く、新しいものに間断無く買い換えれば、それだけ物が消費される。

大量消費社会が維持されるためには、こどもがおもちゃにすぐ飽きてしまうように、モノを次々に手放してもらう必要がある、と。

この本が出版されたのは1937年ですから、第二次世界大戦の最中です。当時から今に至る、この資源浪費の社会をSFを舞台に揶揄する文章に脱帽します。

この本で暗示されているように、新しいモノを買う時には、一度振り返る必要がある、と思います。本当にそれはあなたにとって必要なものでしょうか?

もしかすると、企業の売上のために、なんでも買い換えればいいと思わされている、社会にとって都合のいい「こども大人」にされているかもしれません。

4 そもそも、本当にほしいコトは何?

昨年4分の1インチ・ドリルが100万個売れたが、これは人びとが4分の1インチ・ドリルを欲したからでなく、4分の1インチの穴を欲したからである。

T・レビット マーケティング発想法 

昔読んだマーケティングの本で引用されていた名句です。

モノを買う時には、その所有が目的なのではないということ。モノを通して、「何を実現したいか」を考えてみると、本当にそれが必要なのか、見直すきっかけになります。

例えば腕時計です。

20代のころ、40万円の腕時計を買う、、、一歩手前までいきました

昔でしたら、「いつでも時間を知るために」働いている人にとって必要なツールだったかもしれません。

ですが、「時間を知る」という目的を実現するためであれば、今や必ずしも腕時計を身につけなくてもよい。これは多くの方が分かっている事実です。

携帯、iPhoneがポケットから取り出せば、いつでも時間が確認できるからです。

そうなると、今や「時を知る」ためには腕時計は必要ないかもしれません。
別の目的、例えば
「スーツに合わせたファッションとして身につけ、セルフイメージを高めたい。」とか、
「高級時計のイメージを使って、自分の人柄をハイソに合わせたい。」といった、ブランド力が目的になりそうです。

スマートウォッチであれば「スマホをポケットから出す手間を省きたい」となるでしょうか。

つまり、モノを買う時には、その機能・性能だけで評価しても十分とは言えないということです。
自分が求めている経験にそれがピッタリ合うかどうか、自分にとって唯一無二かどうかが大切だと思います。

5 これまで無くて困っていた?死にそうになった?

かなり究極の質問です。
これを真面目に考え始めると、ほとんど何もいらなくなります。気分は、犬儒学者ディオゲネス。樽に住み、ほぼ全裸の生活にまっしぐらです。

アレキサンダー大王が絶賛 「なんにも持たない」哲学者


これは冗談。とはいえ、この思考法もうまく使えば無駄な買い物防ぐ、良い質問になります。

なぜなら、
これから買うものが、新しかろうが、古かろうが、
どんな分野のものであっても、
これまで、それ無しで生きてこれたじゃないか」という事実に気づくからです。

今まで無くても良かったものだから、よほど将来実現したいビジョンが無い限り、新たに買わなくてもよいモノ、ということになります。むしろ買った分だけ余分なモノ、生活のぜい肉になりかねません。

とはいえ、何も買わないわけでもありません。必需品もあります。

1つは、消費するモノ、例えば卵や牛乳のような食品や、洗剤といった日用品。
もう1つは、これまで使っていて壊れてしまったモノを買い直す場合です。パソコンや車といった、長く使う品ですね。

これが無くても生きてこれた。

この質問は、あなた自身の能力の高さを再評価する力があります。
そして同時に、これから手に入れるものが、あなたの生活を豊かにするのか、ただのぜい肉に過ぎないのか。用心深く見極める力を与えてくれます。

6 子供になにか遺そうと思ってない?

1つ1つが「わたしの」思い出 子供の思い出とは限りません

最後です。これはわたしのマインドセットに結構深く根ざしていて、なかなか修正するのが困難な思い込みです。

何か良いもの、便利なものを。役に立つものをたくさん買いたい。そして、将来それを子供に遺したいという欲求です。

それは家かもしれないですし、数千年読みつがれている古典かもしれません。映画でよく登場するのは親子三代に受け継がれた時計、、、みたいな骨董品でしょうか。

映画パルプ・フィクションでは、お尻の穴のなかで何年も隠し持っていた懐中時計が子供に手渡されていました。
真面目に経緯を語る退役軍人の雰囲気と、お尻のエピソードのギャップが笑いを誘ったものです。

一見、とてもよい考え方のように見えます。
過去は買い物の理由にしていた頃もありました。しかし、今はむしろ手放すべきマインドセットなのでは?と考えているのです。

理由は、わたし自身が父親に遺してほしいモノがないからです。

時代は移り変わります。その時代には「良いモノ」であっても、10年、いや2年経てばバージョンアップされた次の品が出回ります。
例えば、父は映画が好きで、DVDが出回る前から、VHSで大量の映画を収集しています。わたしも映画は好きですが、、、将来VHSを遺されると考えると、億劫この上ありません。

世代の差かもしれません。
モノが足りない時代、戦中・戦後を経験した昭和の時代であれば
「モノがあるほどしあわせ、それを受け継げれば、さらにしあわせ」という価値観ができる土壌がありました。
しかしそこから高度成長期を経て、
「モノだけでは人は幸せにはなれない」という平成・令和の時代に移り変わりました。

子供のために、とモノを遺しても、そのほとんどは遺品整理会社に処分されている昨今。それは非情なことではなくて、すでに別の家庭を築き、十分な量のモノに囲まれている戦後世代にとっては仕方のないことです。

ここまで思っておきながら、自分が子どもたちに同じことをするとしたら、ナンセンスこの上ありません。なので、モノを買う時には、あくまでも自分が使い、自分がケリを付ける(処分する)ところまで責任を持ちたいと思っています。


子供に何かモノを遺すという、思わず至ってしまう考えをシフトする。
モノではなくて、考え方や、思い出、ライフスタイルを伝えたい。昔風に言うなら、「背中を見せたい」。

そんな風にマインドセットを改められたら、自宅のモノを無為に増やす言い訳を和らげられるかもしれません。


以上、ミニマリスト視点でモノを買う時の6つの質問でした。

いつもこんなコト考えてるの?と聞かれると、残念ながら答えは否。衝動買いすることがしょっちゅうです。

質問は、自分の理想として、いつでも実践できるようになるまで頭の中に刻み続けます。

自戒の念を込めつつ、皆さんのショッピングライフが高まることを願っています。

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