命の重さとは。
あのね。
PSYCHO-PASS一期のメインテーマは「心」だった。
私の個人的な解釈だけど。
将来を考えたり、やりたいことのために努力する心を奪うシステムでね。そのことが問題だった。
今回、PSYCHO-PASS二期を見て、こっちは「命」だなって思った。
仕事を投げ出してまで駆けつけた主人公に対して
「命の重さを知っているからこそ、駆けつけてくれたのね」
っておばあちゃんのセリフ、グッときた。
そういってくれる人、いるだろうか。
私はいなかった。
最近Twitterで「仕事辞めるなら3年頑張れと言われたが、ニュースで自殺した人には『死ぬ前にやめればいいのに』と言っていてああ…と思った」って感じのツイートを見かけた。同じ経験をした人もそれなりにたくさんいた。
『友達に「バイトで何万稼いだ!」と喜んでたら「じゃあ次は何万稼ごう」と言われてムカついた』って感じのツイートもあり、
この二つのツイートの本質は似てるのかなって思った。
相手がどう思うか?も確かに大事だがそれ以上に
私はこの台詞をよく使ってしまう。
きつく言えば聞くだろうと思ってつい口を滑らすが、自分と相手はどういう関係かをまず見直さないといけないと思う。
私が言っても大丈夫か?って考えは大事では無いだろうか。
いわゆる、クソリプにならないだろうか。
クソリプじゃなくとも、相手が嫌な気持ちにならないだろうか?
逆に、親しいからこそきつく言わなきゃいけないのでは無いか?とか。
たまに友達に相談され、お説教やアドバイスをした時「わかった!」と返ってきても後々に「あのあとどうなった?」と聞いたらそのまま突き進んで悪化したがなんとかなった風に解決して(ないけど本人の中では有耶無耶になった)おり、私の言葉がカケラも伝わっていないことがあります。
親友だと思っていた友達が、明らかなお節介を焼き、「金貸して」と言った類の問題を持ち込んできた時も私は「自分の手に余る案件をわざわざ背負い込むな。『友達ならなんとかしてくれる』と思ったかもしれないが、その友達だってお前のためなら金を出すかもしれないけど、見ず知らずのお前の友達のために金稼いでるわけじゃないんだぞ。」と言いました。
その後友達は金を出してくれた子の薦めで創価学会に入りました。
縁切りましたよもちろん。吉崎、新興宗教は大嫌いなので。
物事をきちんと理解しないとどうなるか。
この場合、なにも言わずに去るべきだったかなって後悔してます。
ある意味友達を宗教にすがりつくほどに追い込んだのは私ですからね…
友達の心の弱さであり、優しさでもあるのであまり否定したくはないですが、
生理的嫌悪には逆らえません。友達よりも、私自身の、自尊心の方が大事。
私は友達を嫌うような自分を好きになれませんから。
これ以上、友達を嫌いたくないです。
あーあ、嫌な気分。
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