自己啓発の功罪
自己啓発をするべきか否か。
個人的にはもちろんした方がいいと思う。
だが、いたずらに自己啓発に傾倒するのもいかがなものかと思うところがあったのでまとめてみたいと思う。
まずは自己啓発の定義をWikipediaから引用してみよう。なるほど、自分を人間としてより高みを目指すということだ。
自己啓発(じこけいはつ)とは、自己を人間としてより高い段階へ上昇させようとする行為である。「より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」などの獲得を目指す。
他に、自己開発、自己啓蒙、自己変革、自己改革などの表現も使用される。
何事もそうだと思うが、自己啓発においてもなぜ行うのか、目的をはっきりさせておいた方がいい。それなしに耳障りのいい自己啓発本を読んで気持ちよくなるというのはある危険性を孕んでいると思う。
確かに自己啓発本を読んで参考にすれば簡単に考え方や意識を変えることができる気がする。だがしかし、実際に行動に移せるほどの意識の変化まで質を高められるかという問題がある。
自己啓発は視野を広げ、視座を高くすることができる反面、視野がひろがったつもり、視座が高くなったつもりの状態にもよく陥ると考える。
それの何が問題か。
本来、視座が高くなることで見えた課題をクリアするために、そのギャップを埋めようとするのが本来の自己啓発の目的であり利点である。
しかし、視座が高くなったつもりで行動に移さない(移せない)人はどうするか。高くなったつもりの視座で現状を嘆くばかりだ。
自分が上に行ったつもりで今を嘆く。
ここに行動力の一切がない。
これは本当に意識が高い人と、意識高い系と揶揄される人の違いだろう。
仕事においてはどうだろうか。
正しく自己啓発ができている人は自分の仕事にとって何が大事かを見極めて仕事の能力も高めていける。
明確な目的もなく自己啓発をしている自分に満足している人は、批評家になりがちだと思う。
そうなると、自己評価と他己評価の乖離がうまれ、そこに悩んでやむこともありうる。
そして、常にこの状態に陥る危険はあると思っていて、自分も最近その傾向が出ているなと自覚し、反省しているところだ。
愚痴や嘆きの言葉が息を吐くようにでるのは危険信号。
最近批評家になっている自分はいないか。必要以上に環境に嘆き、行動が疎かになっていないか。常に自問自答し、気を引き締めたいところだ。
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