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コインレストラン

旅先の食事をどこで食べるか決断すること。旅の価値はそこで決まる。

美味い食事、珍しい食事、手早い食事、いつもの食事。なんだっていい。行き慣れた街へのちょっとした旅も、食ったもので風景が変わる。旅先の食事は栄養の補給ではなく体験を買いに行くものなのだ。

お天道様が頭の天辺を少し行き過ぎた頃、コインレストランの前でウインカーをあげた。今日の旅には華やかなランチは似合わない。これがいい。

昭和の頃から何も変わっていなさそうな店内には様々な自販機が並ぶ。うどんとラーメンの自販機、惣菜、ジュースは缶と紙カップどちらもある。デザートが欲しければサーティワンのアイスも買える。

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島根県はコインレストランがまだいくらか残っている土地だ。その多くは山の奥や町と町をつなぐ国道の途中にポツンと建っている。観光気分で行ける施設ではない。だが、この斐川のコインレストランまでは出雲市駅から車で 15分程度。遠方からの旅行者がタクシーで来られなくもない場所だ。

惣菜の自販機があるのも良い。ラーメンやハンバーガーの自販機は魅力的だが、中が見えないのは不安を誘う。綺麗なホテルの中ではない、全ての色彩が色あせた建物の中にあるなら尚更だ。その点ここは、真っ白なスチロールのトレイにラップがピンと張られた惣菜が並んでいるから、うどんやラーメンも管理されているだろうと安心できる。

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まずはスタミナ炒めだ。今日は朝早くから映画を観に来たので腹の中にはポップコーンとペプシしか入っていない。身体が栄養を求めているのだ。

硬貨を入れてボタンを押す。ここでトラブルだ。自動で扉が開くと説明が書かれているがどこも開く気配が無い。透明の部分が開くのか?違う!8秒で閉まるという注意書きが見えた。落ち着け。まだ 4秒くらいしか経っていない。銀色の板の部分が開くのか?しかし取っ手が無い。あと 2秒!ふと目に飛び込んできた「押してください」の文字。押し戸か!時間ギリギリでスタミナ炒めを取り出した。戦利品を手にもう一度銀の板を押してみたが、もう動かなくなっていた。間一髪だったらしい。

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主食はラーメンだ。鶏ガラのスープだろうか。思ったより厚めのチャーシューと一掴みのもやしが嬉しい。量は控えめだが、普通のラーメン屋の一番シンプルなラーメンと変わらないくらいの値段だ。

味はシンプルだ。美味しいという言葉が出てくるのを渋る。御馳走とは言えない、食事以外の形容ができない食事。味と値段を考えたら隣に置いてある日清のカップヌードルの自販機を使う方が満足感があるだろう。なんなら車を少し走らせれば近くにいくつかラーメン屋もある。それでも今日はこのラーメンを食事に選んだ。理由など無い。ラーメン屋の前を走った時、カップヌードルの自販機を見た時に無かった高揚がそこにあったのだろう。旅先の食事とはそうしたものだ。

食後のミルクコーヒーを飲んでいると、背後に来客の気配があった。足音は迷いなく、紙コップのコーヒーを買ってアストロシティの椅子に座るまでの所作はそれが長年続いたルーティーンであることを物語っている。向かい合わせに 2台置かれたアストロシティにはどちらも『将棋の達人』が入っている。痩身の老君は軽快にレバーとボタンをあやつり淀みのない見事なプレイを見せていた。音だけ聞けばアクションゲームかと思わんほどだ。

心地よいプレイ音を耳にコインレストランを後にする。今日は良い旅になった。

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