5月13日 再開した幼馴染が女の子だったらいいのにね


 午後一時過ぎ、四限まで時間のある僕と志摩君は木漏れ日の気持ちよいベンチでのんべんだらりとしていた。
 すっかり温かくなり、空には重たそうな雲がちらほらと見えた。夏が近い。しかし夏は嫌いなので、この時期になると憂鬱になる。サザエさんを見ながら、月曜に思いを馳せるような憂鬱だ。

 ところで、隣の志摩君はというと、掟上今日子を静かに読んでいた。
 僕は、風に揺れる木を見ながら言った。

「そういえばこの間、ばったり、幼馴染と再会したんだよ」
 志摩君は、めんどくさそうに顔を上げて言った。

「……お前、幼馴染なんていんかっただろ」
 志摩君は、僕を心底可哀想だという目で見つめた。

 しかし僕は構わず続けた。
「いつも一緒に遅くなるまで遊んでたんだけど、小3のときあっちが引っ越しちゃってそれっきりで」
「ねえ、聞いてる?」
「だけどたまたま、大学で出くわしてさ。ふいに声かけられて、一瞬『誰かな?』って思ったんだけど」
「おい」
「そりゃあ分からないよね。雰囲気全然変わってて。まさか女子だったとは」
「宇根!」
「おい。ぶつなよ!」

 僕の理想の幼馴染概論Ⅰは、志摩君によって無理やり止められた。
「もう大学二年だぞ。正気になれ」
「君だって美少女Vtuberに成りたいって一日一回は言ってるだろ! まともな振りをするな!」
 シニカルにしている志摩君に、僕は思わず叫んだ。
 しかし志摩君は、一切表情を崩さず言った。
「ゼミの準備、いずれ来る就職活動、リクルートスーツ……」
「やめて! 現実で叩かないで!」
 僕は眩暈をするような将来への不安に襲われ、足をばたばたさせて叫んだ。


 これは、多分多くの大学生が抱えている問題だと思う。
 それは、「大学生、友達出来なさすぎ問題」だ。

 高校までは、クラスという箱に四十人前後の人が詰め込められ、一年間一緒に過ごすことを強制される。閉じたコミュニティだ。その環境下では、人並のコミュニケーション能力があれば、友達、とまでは言わずとも、緊張せずに会話できる人間が一人くらいは出来るだろう。

 しかし、大学では、一気に環境がかわる。久々にログインしたソシャゲくらいには環境が変わっている。
 
 大学には、クラスなんてものはない。

 これがとにかく何よりやばい。

 これがあるだけで、人間関係の構築に積極性という能力が求められる。
 つまり、友達がほしければ、たまたま講義が隣になった人に、愛想よく声をかけ、連絡先を交換する必要がある。しかもその隣の人間は、学年が違ったり、学年が同じでも年上だったり、なんだかままならない事情を抱えている可能性がある。大学には、色々な人がいるのだ。そんな可能性を考慮しながら、相手の地雷を踏みぬかないような話題を持ち掛け、気の利いた返答ができれば、友達を作ることができるのだ。

 無理である。

 あまりにも怖すぎる。武器も持たずに前線で戦えと言われているようなものだ。それに、今にして思えば。僕は高校までの間も、人に積極的に話しかけた覚えはない。今いる友達は、大体向こうから話しかけてくれた人ばかりだ。本当にありがたい。

 というわけで、大学で友達のできない僕は、必然的に高校からの友人である志摩君と常に行動することになる。彼は僕と同じ学部、学科である。ちなみに彼は僕ほど人付き合いが苦手ではないが、傍らに僕がずっといるせいで友達がほとんどできていない。

 志摩君とは趣味も会うし、日中であればテンションも低いので、別に彼と一緒にいること自体になんら不満はない。
 しかし、受ける授業も同じ、行く場所も同じとなると、一つ問題がある。

 雑談のネタがない。エピソードトークができないのだ。

 「この間~に行ってさ」という会話ができないのだ。だってそのときに志摩君も隣にいるのだから。したがって、日ごろの会話は基本、最近見たコンテンツの感想になることが多い。しかし、それも早々に話しつくしてしまうと、次第にこうなっていく。

 話題そのものが虚構になるのだ。

 別に僕はエッセイのネタになるからと言って、張り切って「面白い話をするぞ!」と存在しない幼馴染の話をしていたわけじゃない。いつもこうなのだ。

 ついこの間も、妹と血が繋がっていなかったという話でひとしきり盛り上がっていた。ちなみに僕にも彼にも、妹はいない。

 実を言うと、この現状自体に不満はない。ここまで身内ノリが先鋭化されれると、逆に誇らしいものがある。

 しかし、心配なのは、将来のことだ。

 僕らは、30歳になっても、架空の話題で盛り上がるのだろうか。「岡山県が独立国家になった」「国旗は桃太郎ではなくアンジェラアキらしい」ということで盛り上がるおっさん×2。あまりに見るに堪えない。

 だがそれよりも悲しい結末は、彼が一人だけ幸せな家庭を築いていった場合だ。未だ独り身で、あまりに退屈になった僕は、彼になにとなしに電話をかける。「最近サバが人権を主張しだしたらしいよ」しかし彼は少し笑いながら、申し訳なさそうに言うのだ。「……お前も、そろそろ『ちゃんと』したら?」

 想像しただけで大きなため息が出てしまった。

 友達がいるだけましなのかなあ、とは思ってはいるものの、やはり人には、優先順位が変わる時期というものがあると思う。僕はまだ成人にもなっていない青二才で偉そうなことは言えないが、受験期なんてのはまさにそうだった。大学進学に熱心な高校では、皆三年生に上がったとたん、優先順位圧倒的一位に、勉強が君臨する。そのような時期に食らう孤独感は、ただのひとりぼっちというよりは、「おいてかれちゃった」という劣等感もセットで心を蝕む。

 その想定しうる最悪な未来が訪れたとき、果たして僕は正気でいられるか。僕はそれが怖い。

 しかし来年の話をすると鬼が笑う、とも言う。来るかもわからない数十年後の話をしても仕方がない。きっと鬼も笑いすぎて涙目になっているはずだ。今から不安になるのも、不毛というほかない。

 と、いうわけで、不安を払拭するために彼にラインでも送りつけよう。


 彼は良い友達です。


 

 

 

 

 
 
 

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