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草原をゆく

 水色の快晴を切り裂く、なだらかな曲線。霜の降りた平野を、駿馬が勇ましく駆け抜けていく。冬が迫り、頬をうつ冷然たる早朝の風を物ともせず、青年は鐙(あぶみ)を踏み締め立ち上がり、遥か先を横切る黒へ向けて矢を番えた。冬毛を纏った見事な黒狐。これを得て、まだ寝所で母に抱かれて丸まっている妹への贈り物にしてやるつもりだった。
 引き絞った弦が指先から解き放たれる。黒髪を揺らし、一矢、光の如く飛び、しかし獲物は死の命運を逸走しこれを見事かわす。矢は地を捉え、沈黙する。
 忌々しく舌打ちをし、青年は次の矢を番える。これが三本目の矢だ。躍起になって狙いもそこそこに無駄撃ちをし、父の眉間に皺を刻んだ幼い記憶はいつもその脳裏を掠める。呼吸を整え、一度鞍に座り直し、馬の腹を蹴って視線で黒を追う。しかし愛馬の鼻息が激しく、次を外せばもう追う事が出来ないと悟ると、乾いた焦燥が湧き上がり、腹立たしさに胸が疼く。これこそが未熟さの表れだ。

 ケダモノ一匹、持ち帰れない事は青年にとって不名誉だった。「得る」と決めたら、それを必ず手にする事こそがいずれこの地の王となる我が身に必要な武勲であると信じていた。まだ若く、故に愚かでもあった。
 彼の心は常に叫んでいた。この手に不可能など無いのだと。偉大なる父の血、引き締まった肉体、剣を手にすれば打ち負かせぬものもない。この世の全てに挑めば、望むものは必ず手の内に収まる。当たり前であり、そうあるべきなのだ。自分が自分である為には、それが当然なのだ。

 この俺の手で、得られぬものなど!

「許さん!」

 黒い毛並みが直線を切り返す。再び鐙を踏み立ち上がると、ビンっと張った弓の弦を獣に向けて解き放った。矢羽根が頬を掠め、長い前髪を踊らせる。
 宙でしなりながら飛ぶ最後の矢は黒い獣の背を僅かに捉え、トシュッと音を立てながら、霜の張る草原へと突き刺さった。

 妹への贈り物を見失った。同時に、昼には得られるはずだった彼女からの羨望の眼差しをも失った事に落胆する。
 酷使され、白く湯気を上げる愛馬の首を軽く撫で叩きながら、自身も呼吸を吐き出せば、息の白が宙に舞い散って消える。
 地平の彼方に手を振る点が見えた。父の配下がぶち色の馬を駆ってこちらへ向かって来る。
「若様」
 忌々しげに顔を顰め己の機嫌を伝えると、男は目をパチクリさせながら真横へ馬をつけた。腰の矢筒を認めて、こちらを見やる。
「今朝はやけにお早い。弓の稽古でしたら昨日済ませたでしょう?」
「お前のせいで逃したぞ」
「私の?」
「黒狐だ」
 言って、顎で平原を指す。背の低い草原に生物の姿は見えない。男が笑う。
「ああ、では姫様ですね。生誕の日になんの準備もしてないなどと言ってまあ、実の所は張り切っておられたのか」
「煩いな」
 思わずその足を蹴り飛ばす。痛い!と男が喚けば少しは胸の燻りが晴れるも、態度は不機嫌に鼻を鳴らすに留める。
「何も準備していない、代案を出せ」
「では、……木でも削っておやりなさい。若様は得意でしたでしょ」
「得られなかった獲物をか?」
「姫様なら喜ばれる、まだ幼いですからね。小さいものなら簡単です。それに持ち運べる」
「狐ならば、帽子が作れた」
 帽子も持ち運べる。自分の栄誉を妹が身に纏い、冬の間被って暮らす。兄上が下さった、と下々の者へ自慢しながら……。
「幼な子は大きくなります。また次の年に獲っておやりなさい。逃した獲物もひと回り大きくなりましょう」
 慰めを受け、また忌々しげに鼻を鳴らす。フンっと一瞥をくれてやり、手綱を引いて馬の向きを返した。もう今日は走らせる事もない。館へ帰り、上手く削れる太い薪でも探さねばならない。

「ケダモノですよ、若様」
「なに?」
 男を睨みつけた。幼少から足の脛を拾った馬の骨で散々殴りつけてやったのに、男は軽く笑うだけで気にも留めない。彼にしたら自分もまだ若く、幼い王子のままなのだろう。
「ケダモノは神のものです。獲れなかったのは思し召しだ。貴方の栄誉は、地にありましょう」
「お前は本当にさかしいな」
 知った口振りに嫌気がさす。誰もが自分を、自分よりもよく知っている様で腹立たしかった。栄誉、名誉、武勲こそが大切なもの。それは自分の頭の中だけで分かっていれば十分だ。
 神が与えなかった、だからなんだ、己が手で欲しいものを掴みとる事こそが、重要なはずなのだ……。

 参りましょうと促され、軽く愛馬の腹を蹴る。耳をこちらに向けて主の指示を仰ぎつつ、従順な友はぶちの相棒と連れ立って歩き出す。

 黒い獣を見失った平野を、青年は振り返らなかった。
 地に刺さった三本の矢が彼の自己憐憫を縫いとめて、その傲慢な心を護っていた。


▼あとがき
「狂えるオルランド」の登場人物マンドリカルドの二次創作です。
FGOにも登場するキャラクターで大人気の例に漏れず私もハマってしまいました。文章を書くのは今年からですが少しづつ上達出来ればと考えています。

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