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母と娘とクローバーをくわえた鳩と

母と姉が同時に出てくる思い出はめずらしい。中学か高校の頃に両親の寝室で何かの片付けをしていた時の、平和でぼんやりとした記憶。

奇数はいいね。特に3はずば抜けていい気がする。女子旅だって、2人より3人のほうがずっと平和的だけど、それ以上増えるとまた別の問題が生じるもの(自分比)。
誰かの言葉足らずを残る2人で少しずつ補い合ったり、変な空気を分散させたり、可笑しいことは3人で盛大に笑い合える。
母と娘2人の構成でも、ある程度の年齢に達するとそういうところがある。

まあ、そんなことはどうでも良くて、たぶん、春先だったと思う。片付け中に母がなぜか高校の文集を発掘した。クリーム色の表紙に「巣立ち」というタイトルと、高校生のものとは信じがたい画力で描かれたハト(お決まりのクローバーをくわえている)が踊っていた。
巣立ちというからには卒業文集だったのかも知れないが、その内容的に、クラスの文集程度のもう少し閉じられたものだったとも考えられる。

伊藤左千夫の野菊の墓の感想文集。誰の趣味だったのかは私には知る由もないけれど、将来の夢だとか、学校生活の思い出なんかを語るありふれた文集よりも、ずっと粋だなと思った。
私と姉が前述のハトのイラストで呼吸困難寸前まで笑った後、母が、「野菊の墓、いいよ」と言った。残念ながら読書習慣のない両親を持ったもので、母が小説の話なんかをすることは相当に珍しかった。

伊藤左千夫の代表作で有名な小説だが、もし未読の人がいればぜひ読んでもらいたい。青空文庫で読めて、Kindle版もある(なんて素晴らしいんだ!)。

母がいいよと言った後、すぐに野菊の墓を読んだ。とても好きだと思った。血縁ではないけれど、ずっと片想いのようなことをして、神のように崇めて心の支えにしてしまった子を連想させた。もちろん年下である。
私と似た属性の友人もきっと気に入るだろうと薦めたら、案の定喜んでくれた。ただれた恋愛をしているような人種でも、いや、だから余計に純愛が好きなのかも。

幽明遙けく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。

友人は、これをいたく気に入っていた。


そんなことや、それにまつわる色々を思い出していたら、昨夜、祖母が亡くなったと連絡を受けた。母を長年苦しめてきた人だったが、認知症が進み、もう何年も施設で生活していた。
私はたぶん7、8年は顔を見ていない。何度か様子を見に行こうとしたものの、母があまり私と祖母を会わせたくないように見えたから、結局会わずじまいだった。


東京都は絶賛「緊急事態宣言」の最中で、実家のある田舎でも、この状況下では家族葬一択のよう。
「巣立ち」を見つけた嘘のように平和な頃が懐かしい。
まだ姉が病気になる前で、義理の兄とも出逢っておらず、義理の兄は両親に死んだものと見なされていない。当然、新型のウイルスが世界を一変してしまう前の、母娘3人の平和な記憶。

親に苦しめられた人も、無償の愛をもらった人も、当然何かに感動することもあれば、奇跡的に家族を作ったりもする。
そして、突如として理不尽な状況に追いやられ、行き場をなくしたりする。

そう言えば、その当時の(そして今も存在する)実家は私にとっては2番目の家。母にしてみれば父と結婚する際と今の家に移るタイミングで、2度も荷物を整理する機会があったはず。
あの文集を自分の実家からわざわざ持ち出して、次の引越しでも処分せずにおいたのはなぜだろう。母はわりかしドライだから、間違って紛れていた物なら容赦なく捨てていたと思う。

幽明遙けく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。

私も友人も誰かを思い浮かべて胸を痛めた一節は、高校生だった母にも痛みを与えたのか。それが、ままならない日々の支えとなっていたのだろうか。

通夜にも葬儀にも出られない私は、母がどんな顔で祖母を送り出すのかわからない。
ただ、母と祖母の間にも、「巣立ち」を見つけた時のような平和な思い出があることを願う。

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