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「所属」というのは、一枚の布のようなものかもしれない

「所属」というものについて問うてみたい by Moyu

いま、もゆちゃんひーちゃんも、転職というか、自分の"仕事"という面での居場所を模索中みたいね。

「所属」と聞いて、わたしが一番に思ったのは、
『あれ、わたしどこにも属してないかも。』

そういえば、会社員というものを辞めて、フリーランスになってちょうど丸2年が経った。(2018年4月1日が独立記念日!)
しゅんくんとクリエイティブユニットもやってるけど、あれは"所属"ではないんだよね。なんだろう。あれは関係性、かな。

そもそも、会社員というものを辞めたのは、もっと自由に、もっと直接的に、いろんな人と繋がってみたかったからだったし。わたしが大切に思ってる人を、より大切に扱えるようになりたかったからだった。
会社にいると「その会社」としての枠組みの中で、「ワタシ」じゃない何かで相手にタッチしてる感じがあったんだよね。

だから、会社というところに所属してるわたしは、わたしであって、わたし自身でない。一枚、支給された服を一番上に着ているような感覚だったかも。

そういえば、話は逸れるけど、わたし制服ってすごく嫌いで。
大学生の就活のとき、BAかアパレル販売の二択の最終進んでて、『BAになって毎日制服で接客する』か『ショップ店員になって、毎日ブランドの服を自分でコーディネートして接客する』かの二択で、アパレル選んだんだよね。
わたしは、わたしが選んだものを纏って居る、ということをすごく大切にしているのかもしれない、といま思った。

そのアパレルも、「自分のブランドの服を着る」という枠組みが嫌で辞めるんだけど。(もちろんそれだけじゃないけど。)

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でも、その支給された一枚を羽織ることで、みんなとお揃いであるっていうのは、ものすごい安心感があるんだよね。

「肩書き的な所属」と「居場所だと感じる所属」の二種類がありそう。 by HIKARI
「所属」は「同じ目的を持った人の集合体」であって、
同じ温度感を持った人たちと共通の目的に向かう過程で、その「所属」がだんだんと自分の「居場所」になると思うんだよね。 by Moyu

うんうん。
「居場所」っていう感覚、すごくわかる。

わたしが前に所属していた会社は、本当に社内が仲良しで。めちゃチームワーク感あった。みんなで「どうしたらこれはおもしろくなる?」って考えて作ってく感じとか、心地よかった。
だから、居心地よくてなかなか辞めるって踏み出せなかったし、あそこは「所属先」であって「居場所」でもあったなぁ。
いまでも仲良いし。


あと、所属と聞いて次に浮かんだのは、たくさんのコミュニティ。
暮らしの意識が近い仲間、ダンス仲間、音楽仲間。ひーもゆの2人との関係もコミュニティと呼べるかもしれない。
これらは、完全に居場所だなぁと思うんだよね。

あ、そしたらわたし、属してるかも。

なんか、これらのコミュニティでは、服は支給されてない気がする。
でも、なんかお揃いの布みたいなのがあって。
それをいつ、どこに、どれだけ巻いてもいいよ〜っていう自由さがある感じがするなぁ。

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所属というのは、わたしにとってはひとつひとつが、一枚の布のようなもので。
それが服というカタチを持っていたり、布のままだったり。重さや大きさも違ったりする。

その服自体のカタチも、普遍的かもしれない。
前いた会社には、わたしはもう属していないけど、それは"卒業生"みたいな軽さの服となって、わたしのクローゼットに並んでるんだよね。

たぶん、いろんな側面のものに属してるわたしだから。
それを纏うことで、自分の外側に何か装飾を施してくれたり、わたしらしさを表してくれたりするものなのかもしれない。

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