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「できる」の錯覚

2020年11月に、スペインで美術品が専門家以外の人の手で修復された結果、別物になってしまう事案がまた起きたそうです。文化保全、または修繕の専門家のいづれかが関わっていれば回避できたのかもしれません。

ある問題に対して、その道の素人が専門家と同等の成果をもたらすことは困難です。それでも、この構造は形や規模を変えて、私たちの身近に溢れていると思います。

専門家は何が違うのか

私はWEB領域のデザイナーです。ビジュアルデザインが得意とは言えませんが、レイアウトや分かりやすさといったことを判断する力は、未経験者より優れていると思います。しかし、専門外のことはさっぱりです。例えば、データを見て物事を読み取る力は、データサイエンスを専門とする人にはとても敵いません。

今井むつみさんの著書「学びとは何か」の中で、熟達者の臨機応変さについてこう述べています。

物理の熟達者の問題の解き方をひとことでいえば「自由自在」あるいは「臨機応変」だろう。この背後にあるのは、問題を読むと一瞬で「何が大事かわかる」と言う本質をつかむ力だ。「一瞬で本質がわかる」というのは、状況を一瞬で把握し、解くべき問題が何か、そのために何をすべきかがわかるということだ。
今井むつみ 『学びとは何か―〈探究人〉になるために』 (岩波新書, 2016年)(p103)

熟達者の「本質をつかむ力」というのが、とても腑に落ちました。専門家は問題に直面した時に、課題発見が的確で早いです。
問題を解決するためには、適切な課題の発見が必要です。いかに行動をとったとしても、間違った課題を選んでしまっては本末転倒です。

適切な課題を発見することができること、そこが専門家と未経験者の違いの一つだと思います。

専門外のことでも「できる」と感じてしまう

自分の専門外の物事に対して「できる」と判断してしまうのはなぜでしょう。私は「実行しやすさ」が、一つの尺度となるのではと考えています。「実行しやすさ」とは、物事に変化を加えることの容易さ、ここでは捉えています。

例として、会社のウェブサイトの更新について考えてみます。
(かなり恣意的な例となっていますがご了承ください)

ウェブサイトで、システムに起因する問題に直面しました。システムに変更をくわえるためには、エンジニアのスキルが必要です。パソコンやプログラミングのツールは揃っています。あなたは変更を加えることができます。

あなたがプログラミング未経験の場合、自分で変更しようとする人は少ないと思います。プログラムは、間違っているとそもそも動きません。行動を起こして何か成果を得るためには、プログラミングの方法を学ばなければなりません。こうした制約から「実行しずらい」といえます。
次の例はどうでしょう。

ウェブサイトに掲載している画像の情報を更新する必要が発生しました。普段はデザイナーが業務にあたりますが、本日は不在です。編集するためのツールは揃っているので、あなたは変更を加えることができます。

あなたがデザイン未経験の場合、自分で変更しようとするでしょうか。前の例よりも、自分で変更しようとする人は多いのではないかと思います。ツールが揃っているため、未経験者でも変更をくわえることができる。成果の有無に関わらず「実行しやすい」といえます。

「実行しやすさ」と「システム1」

システム1とは、ダニエル・カーネマンが著書「ファスト&スロー」(2011年)で述べたものです。処理速度は早いが直感的に物事を判断します。対して、システム2は速度は遅いが、論理的は物事の判断を担います。

「実行しやすい」というのは、認知の側面では分かりやい、ということではないでしょうか。そして、分かりやすいとシステム1が優勢となり、認知に対して影響力を強める。システム1 が優勢となった結果、短絡的な判断をとりやすくなるのではないでしょうか。

まとめ

実行しやすいものは、分かりやすいものとしてシステム1に捉えられる。その結果、システム1優位のもと直感的・短絡的な判断をくだしてしまうため、専門外のことでも「できる」と感じやすいのではないか。というのが、本文の主旨でございました。

この記事はGMOペパボデザイナー Advent Calendar 2020 7日目の記事でした。



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