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【百年ニュース】1921(大正10)7月14日(木) サッコ・ヴァンゼッティ事件で死刑判決が下される。1920年4月にマサチューセッツ州ブレインツリー市で発生した靴工場の強盗事件容疑者として無政府主義者の2人ニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティが死刑となったが,1977冤罪であったと認定された。

サッコ・ヴァンゼッティ事件で死刑判決が下されました。

1920年4月15日にマサチューセッツ州ブレインツリー市で靴工場の強盗事件が発生。5人組の強盗が靴工場のステーラー・モリル・シュー・カンパニーを襲撃。会計部長フレデリック・パーメンターと護衛アレッサンドロ・ベラルデッリは射殺され、社員の給与が満載されたスチール製のスーツケースが強奪されました。中には16,000ドルが入っていました。強盗は盗難車だったビューイックで逃走しましたが、2日後にその車が発見されました。事件の翌月5月5日に、事件の容疑者として、二人の無政府主義者が逮捕されました。二人ともイタリア移民で、ひとりは靴工場の工員だったニコラ・サッコ、もう一人は魚の行商人だったバルトロメオ・ヴァンゼッティです。

サッコとヴァンゼッティの2人は、当時危険視されていたアナーキストであっただけでなく、当時のアメリカでは差別的な扱いを受けていたイタリア系で、しかも第一次世界大戦中はそろってアメリカの徴兵を拒否していました。実際には、警察は明確な物的証拠がないまま2人を検挙し、2人を有罪とする明確な物的証拠はほぼ存在しませんでした。しかも事件当時の検事は偽の目撃者を雇って法廷で証言させたといわれています。

そして100年前の今日、1921(大正10)7月13日、マサチューセッツ州ボストン郊外のデッダム裁判所は証拠不十分なまま死刑判決を下しました。公正さを欠いたこの裁判に対し、地元ボストンだけではなくニューヨークでも抗議活動が発生し、一部は暴動化しました。そのため死刑確定後もながく執行されませんでしたが、1927年4月9日、マサチューセッツ州知事は事件の再調査のため特別委員会を設置しましたが、結局国際的な助命嘆願は棄却され、委員会も判決を支持するにおよんで、死刑判決が再度確定しました。8月23日、マサチューセッツ州ボストン郊外の刑務所で0時19分にサッコが、続いて0時27分にヴァンゼッティが電気椅子で処刑された。

死刑執行の50年後にあたる1977年7月19日、当時のマサチューセッツ州知事のマイケル・デュカキスは、この裁判は偏見と敵意に基づいた誤認逮捕であり、また冤罪であったとして2人の無実を公式に認定し、処刑日にあたる8月23日を「サッコとヴァンゼッティの日」と宣言しました。現在ではアメリカ史上最大の冤罪事件とされています。

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マイケル・デュカキ

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