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【百年ニュース】1921(大正10)9月5日(月) 川島芳子(14)が養父川島浪速に従い長野県松本市に移住。東京の跡見女学校から松本高等女学校(現蟻ヶ崎高校)2年生に転入。大戦中は男装の麗人,東洋のマタハリと呼ばれる。1948年3月25日北京で処刑後,遺骨は川島家に届けられ,松本市蟻ヶ崎の正麟寺に葬られた。

清朝の元皇族、川島芳子(14歳)が養父川島浪速に従い長野県松本市の浅間温泉に移住しました。東京の跡見女学校から松本高等女学校(現在の蟻ヶ崎高等学校)の2年生に転入しました。

川島芳子の本名は愛新覺羅顯㺭あいしんかくら けんし。1907年5月24日に清朝の第10代粛親王愛新覚羅善耆ぜんきの第14王女として誕生しました。1911年の辛亥革命で清朝が崩壊。1915年顯㺭けんしが8歳だったとき、父粛親王善耆ぜんきの顧問だった川島浪速の養女となりました。

のち大戦中は男装の麗人、東洋のマタハリと呼ばれ、諜報活動に従事したとされています。大戦後は中華民国政府の漢奸裁判では死刑を宣告され、の1948年3月25日銃殺により処刑されました。遺骨は川島家に届けられ,松本市蟻ヶ崎の正麟寺に葬られました。

川島芳子 (1)

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川島芳子 (2)

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