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【百年ニュース】1920(大正9)6月29日(火)中華民国が国際連盟加入。中国はパリ講和会議で日本の山東権益継承に反発しヴェルサイユ条約(対独)に調印せず。一方サンジェルマン条約(対墺)には調印し、同第一条に基づき国際連盟の加盟国となった。顧維鈞(32)がパリ講和会議に続き中国の連盟代表となる。

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前年のパリ講和会議の国際連盟規約制定会議において顧維鈞ら中国代表は、孤立主義的行動を批判する条文の規約挿入に成功し、日本主導のアジアモンロー主義を牽制。また非常任理事国の選挙制度で地域別に非常任理事国枠を設ける分洲主義を主張し、東欧や南米諸国と競合しないアジア枠確保に成功した。

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実際中国はイランやシャムと調整をおこないアジア枠選出の初代非常任理事国となった。現在の国際連合と違い連盟の常任理事国には拒否権がなく、非常任理事国の地位は現代に比して高かった。その後も中国は連続選出され、1921年には理事会で中華民国代表の顧維鈞が議長を務めるなど存在感を高めた。

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