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【百年ニュース】1920(大正9)9月20日(月) 神奈川県藤沢町鵠沼の岸田劉生が久しぶりに上京。神田小川町の画廊流逸荘で河野通勢個展を鑑賞し,神楽坂の出版社聚英閣を訪問。岸田は終生家族を想い,妻の蓁(しげる)や娘麗子の肖像画を多く残した。独創的画風で近代洋画界で異彩放つ

「7時59分の汽車で上京のつもりでいたが10時12分の汽車にする。

博物館に普賢菩薩の画が出ている由なので行こうと思ったのだが時間がないのでやめる。

出がけにセルの着物がないので少し蓁(しげる,妻)とケンカする。

新橋ステーションで昼食して市街自動車で田中松太郎へ行く。

河原辰三も来る。3時過ぎ用を済ませて河原と河野の展覧会に行く(流逸荘)。河野の画は感心する。

清宮、村田永之助、河野夫婦に会う。

河原と一緒に芝川を訪ねる。電車の中で飯村郡治に会う。

芝川に詩句ある静物を借りることにする。本の挿絵のためなり。

夕方芝川を辞し、牛込の聚英閣に河原に連れられて行く。

7時半頃辞し、俥にて牛込見附停車場に到る。途中神楽坂賑わし。

国勢調査の演説をしていたり、書生が二人並んで間の抜けた声でグノーのセレナードを歌って歩いているのや、東京も変わったと思い吹き出す。

8時30分の汽車で東京駅から帰る。

蓁とケンカしたまま出たので可愛そうになって菓子の土産など買う。」

岸田劉生『摘録劉生日記(1920年9月20日条)』岩波文庫,1998

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