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【百年ニュース】1921(大正10)6月3日(金) 東京市電運転手の李判能による連続殺傷事件が東大久保で発生。払暁,李はゲンノウや包丁で同僚の遠藤五百次郎一家や上司の今鉾完一の一家,さらに通行人や自身の家族も襲い,7名を殺害,10名を負傷させた。この事件は東京市民を震撼させ朝鮮人への恐怖が煽られた。

東京市電運転手の李判能による連続殺傷事件が東大久保で発生しました。払暁、李はゲンノウや包丁で同僚の遠藤五百次郎一家や上司の今鉾完一の一家、さらには通行人や自身の家族をも襲い、7名を殺害し、10名を負傷させました。この事件は大きく報道され東京市民を震撼させました。

東大久保連続殺傷事件の犯人である李判能は起訴されましたが、その裁判は長引くことになりました。第一審では、東京帝大の三宅鉱一、杉田直樹、呉秀三の三人の博士の精神鑑定の結果犯行時は心神喪失状態だったとされ、死刑ではなく無期懲役の一審判決となりました。また1923(大正12)年9月の関東大震災を挟み争われた控訴審では、情状酌量が認められ、懲役7年半に減刑され結審しました。

1925(大正14)年に編まれた『大正大震火災誌』は警視庁が本部や所轄署などの記録を編纂した関東大震災に関する公式記録ですが、これによれば震災直後、流言によって多くの朝鮮人が自警団に虐殺された事件が発生した要因のひとつとして、この東大久保の李判能による連続殺傷事件が東京市民の記憶に新しく、疑心暗鬼の状態を作ってしまったことがある、とされています。

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