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【百年ニュース】1921(大正10)9月21日(水) ドイツの化学メーカーBASFのオッパウ工場が大爆発を起こす。565人が死亡するドイツ産業史上最大の惨事となった。ハーバー・ボッシュ法によるアンモニア製造を経由し火薬原料の硝酸を製造。貯蔵庫の硫硝安混成肥料が爆発し深さ20mのクレーターが残された。

ドイツの大手化学メーカーBASFのオッパウ工場で大規模な爆発が発生しました。オッパウ大爆発と呼ばれ、従業員や周辺住民の565人が死亡するドイツ産業史上最大の惨事となりました。

BASFの創業者フリードリヒ・エンゲルホルン(Friedrich Engelhorn)は、1865年4月にドイツ南部の都市マンハイムで「バーディシェ・アニリン・ウント・ゾーダ・ファブリーク(Badische Anilin - u. Soda -Fabrik)」社を創立し、炭酸ナトリウム(ソーダ)の製造を始めたのが、BASF社のスタートです。

1909年にドイツの化学者フリッツ・ハーバー(Fritz Haber)とBASFの研究者カール・ボッシュ(Carl Bosch)が、画期的なハーバー・ボッシュ法の実用化に成功しました。これは大気中の窒素を水素を触媒で反応させてアンモニアを取り出し、肥料となる窒素化合物「硫酸アンモニウム(硫安)」を製造するものです。大変安価に肥料が製造することが可能となるため、画期的なイノベーションとなりました。

1913年にBASFはドイツ南西部のオッパウ(現在のルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン)に、ハーバー・ボッシュ法によるアンモニア製造工場を作りました。また同時にそのアンモニアを経由して火薬原料の硝酸を製造しました。そして二つを混合し硫硝安混成肥料として貯蔵していました。

第一次世界大戦中は1日に約40トンのアンモニアが製造され、約4,500トンの硫硝安混成肥料が半地下式の大型サイロに貯蔵されていました。全長60m、幅30m、高さ20mで、地下部分の深さも4mをもつ巨大なサイロで「サイロ110」と呼ばれていました。

この貯蔵庫の硫硝安混成肥料は湿気を吸って固化してしまっており、出荷のためにダイナマイトで発破する作業が必要でした。それまで3万回にわたりこうした作業が行われ無事に出荷が出来ていましたが、1921年9月21日の朝7時半、この作業により硫硝安混成肥料が起爆してしまい、大爆発を引き起こしました。

オッパウから250㎞離れたシュトゥットガルトの地震計で2回の大きな揺れが観測され、爆心地には深さ20mにも及ぶ巨大なクレーターが残されました。暗緑色の雲がオッパウと近郊のマンハイムの空をおおい、地域全体が濃い煙に包まれ、電信や通信サービスが遮断されたため、救助は困難を極めたと言います。

公式なレポートによれば、 人的被害は死者561人、負傷者1,952人におよび、オッパウの建物の80%が破壊され、近隣も含め家を7,500人が家を失いました。ドイツは当時第一次大戦後の混乱期にあったため救助活動は滞り、現地の復旧には3年以上の歳月がかかりました。

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