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【百年ニュース】1921(大正10)11月3日(木) ロッテ創業者重光武雄(辛格浩)が慶尚南道蔚山郡で誕生。1941(昭和16)所持金わずか83円で日本本土に渡ってきた。1944(昭和19)早稲田実業卒業。進駐軍のチューインガムをヒントに1947(昭和22)ガム製造を開始。会社名は『若きウェルテルの悩み』主人公の恋人に由来。

ロッテ創業者重光武雄(辛格浩シン・キョクホ)が慶尚南道蔚山郡(現在の蔚山ウルサン広域市)で誕生しました。五男五女の長男でした。

1941(昭和16)年に所持金わずか83円で関釜連絡船に乗り日本本土に渡ってきました。戦時中であったため徴兵される恐れがありましたが、工学専攻の場合は徴兵を避けられると知り、本来の文学志望をあきらめ化学工業を専攻しました。1944(昭和19)年に早稲田実業を卒業し、切削油生産工場を設立しましたが連合軍の爆撃で焼失してしまいました。

戦争終結後1946(昭和21)年5月に荻窪に「ひかり特殊化学研究所」を設立し、石鹸やポマードの生産を開始して成功を収めました。のち進駐軍が日本に持ってきたチューインガムをヒントに、翌1947(昭和22)年にはガム製造を開始し、会社名を「ひかり特殊化学研究所」を「ロッテ」と改めました。この名前はゲーテ作『若きウェルテルの悩み』の主人公ウェルテルの恋人シャルロッテに由来しています。

ロッテは日本での事業成功のあと、1965(昭和40)年の日韓基本条約で両国関係が正常化したことを受け、1967(昭和42)年に韓国にも進出しまし、帝国ホテルをモデルにしたロッテホテルを建築するなど、観光業を中心に大きく成長しました。

1969(昭和44)年に毎日大映(永田雅一ながたまさいち)が経営するプロ野球球団「東京オリオンズ」のスポンサーとなり業務提携締結、球団名は「ロッテオリオンズ」と改称されました。翌1970(昭和45)年にパリーグ優勝を決めました。

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2009(平成21)年、重光武雄はロッテグループ社長退任して会長となり、経営の一線からは退きました。2017(平成29)年韓国ソウルで横領と脱税の罪に問われ懲役4年が言い渡され、2019(令和元)年に刑が確定したものの健康上の理由により収監されませんでした。

2020(令和2)年1月19日老衰のため死去、享年は98歳でした。

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松崎隆司『ロッテを創った男 重光武雄論』ダイヤモンド社,2020

柳町功『ロッテ創業者 重光武雄の経営 国境を越えたイノベーター』日本経済新聞出版,2021


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