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【百年ニュース】1921(大正10)7月11日(月) 俳優の山内明が東京都麻布で誕生。父は漫談家の山野一郎。1942(昭和17)早稲田大学在学中に劇団「若い仲間」結成。翌年映画『海軍』主役に抜擢。戦中は満州。戦後松竹入社,1950(昭和25)宇野重吉とともに劇団民藝創立。多くの映画に出演した。1993没,享年72。

俳優の山内明やまのうちあきらが東京都麻布で誕生しました。父は大正時代に活動写真の弁士や漫談家として活躍した新潟県半蔵金村はんぞうがねむら、現在の栃尾市出身の山野一郎(本名山内幸一)でした。

幸一の次男として誕生した山内明は、1942(昭和17)年、早稲田大学在学中に劇団「若い仲間」結成。学生の身分のまま松竹太秦撮影所と契約し、翌年に映画『海軍』の主役である谷真人たにまさと役に抜擢され注目されました。同年早稲田を繰上卒業し、そのまま陸軍に入隊、満州や中国戦線を転戦し復員しました。

戦後は松竹京都に入社し、1947(昭和22)松竹大船おおふな撮影所に移籍しました。のち1950(昭和25)宇野重吉や滝沢修らとともに、いわゆる劇団民藝(民衆芸術劇場)の創立に参加しました。

多くの映画やテレビドラマに出演しましたが、吉塚がの印象にたいへん深く残っているのは、1970年の日活映画「戦争と人間」での、関東軍参謀石原莞爾役です。

1993年、川村健二監督の映画『病院で死ぬということ』が遺作となり、同年没,享年は72歳でした。

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