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【百年ニュース】1921(大正10)6月15日(水) 陸軍人事で秋山好古教育総監を補佐する総監部本部長に児島惣次郎中将が就任。鈴木壮六第六師団長(広島)は第四師団(大阪)に。同師団の町田経宇師団長はサガレン派遣軍司令官に。第五師団長には山田陸槌が新任。児島は翌年陸軍次官に昇進するが在職中に死去。

陸軍幹部の人事異動がありました。先日6月9日に田中義一陸相が辞任し、後任の陸軍大臣には田中のもとで陸軍次官を務めていた山梨半造が昇格しました。山梨の陸相就任は田中の強い意向によるものです。

山梨の後任の次官には、教育総監部本部長だった尾野実信おの みのぶが転出。この教育総監部本部長というポストは、陸軍三長官の一角である重要ポスト教育総監を補佐するNo.2の非常に重要なポストです。当時の教育総監は、司馬遼太郎「坂の上の雲」で著名な秋山好古でした。さて尾野の転出で空いたこの総監部本部長のポストには、当時のシベリア出兵で重要だったサガレン州派遣軍司令官の児島惣次郎中将が就任しました。児島の就任は、新しく陸相となった山梨半造の強い意向によるものでした。

事実、翌1922(大正11)年に児島は山梨を補佐する陸軍次官に就任。山梨と一緒に、陸軍創設以来初めてとなる陸軍の軍備縮小、いわゆる山梨軍縮を進めました。しかし児島は次官就任わずか5カ月、同年10月に死去してしまいました。児島の後任の次官は、第一次上海事変の上海派遣軍司令官で、上海天長節爆弾事件で亡くなった白川義則でした。

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山梨半造

白川義則 (1)

白川義則 (2)

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