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【百年ニュース】1921(大正10)4月5日(火) 中国の文化大革命の造反派リーダー聶元梓が河南省で誕生。1938年17歳で中国共産党に入党。北京大学哲学科卒業,同大講師に。1966文化大革命が公然化すると,大学指導部を批判する壁新聞を掲示,毛沢東がこれを評価し文化大革命が全国に拡大した。2019没,享年98。

中国の文化大革命の造反派リーダー聶元梓(じょうげんし, Niè Yuánzǐ) が河南省滑県で誕生。

1937年日中全面戦争の勃発に刺激され、翌1938年17歳で中国共産党に入党。太原市の国民師範学校を卒業後は、抗日救国組織「犠牲救国同盟会」の軍事訓練を受けた。1939年に中国共産党の本拠地延安にいたこともあるが、北京大学に進み哲学科を卒業、同大学の講師となる。

1966年5月16日、共産党政治局拡大会議における「五一六通知」により文化大革命が公然化すると,直後の5月25日に他の6人の哲学科教員とともに北京大学指導部を批判する壁新聞を掲示。毛沢東がこれを評価し、北京大学のトップ党委第一書記の陸平が解任されると、文化大革命が全国の大学に拡大した。

8月18日には天安門広場の紅衛兵集会で天安門上の毛沢東の接見を受け、翌1967年には北京市副市長にあたる北京市革命委員会副主任に就任し、文化大革命の政治的混乱がピークを迎える。

8月に人民解放軍が北京大学に進駐し紅衛兵組織を武装解除すると、聶元梓(じょうげんし)も指導的地位から引き下ろされ、翌年には江西省に下放された。

文革終結後の1978年4月に反革命宣伝煽動罪と誣告罪により逮捕され懲役17年の判決。1986年に仮釈放となったが、出所後は北京の親類の家で質素に生活を続けた。2005年香港の出版社から回想録を出版。2019没,享年98。

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聶元梓


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