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【百年ニュース】1921(大正10)5月12日(木) 詩人の竹内浩三が三重県伊勢市で誕生。明倫小学校から宇治山田中学校に進学。1940(昭和15)日本大学専門部映画科入学,2年後繰上卒業で陸軍に応召。1945(昭和20)フィリピンのルソン島で戦死。戦場で書き残された瑞々しい詩が胸を打つ。

詩人の竹内浩三が三重県宇治山田市吹上町(現在の伊勢市吹上)で誕生しました。野球の沢村英治の出身校として有名な明倫小学校から、旧制宇治山田中学に進みました。1940(昭和15)映画監督になる夢を抱き上京。名門の日本大学専門部映画科に入学しますが、太平洋戦争のため2年後に繰上げ卒業となり、陸軍に召集されました。筑波の落下傘部隊に配属となり厳しい訓練を受けたあ戦地に赴き、1945(昭和20)年4月9日フィリピンのルソン島バギオ北方で戦死しました。

陸軍入営中に書かれた瑞々しい詩が戦後家族により遺稿集『愚の旗』として出版され、2004年(平成16年)稲泉連(いないずみれん)の評伝『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』が第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞を受賞し、改めて注目されました。

竹内浩三「骨が歌う」

戦死 あわれ
兵隊の死ぬ あわれ
とおい他国で ひょんと死ぬ
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬ
ふるさとの風
こいびとの眼
ひょんと消える
国のため
大君のため
死んでしまう
その心

苔いじらしい
あわれや兵隊の死ぬ
こらえきれないさびしさ
なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なにもない 骨
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさ

自分の事務 女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し

なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
それはなかった
がらがらどんどん事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた
骨は チンチン音を立てて粉になった

ああ戦場 あわれ
故国の風は 骨を吹きとばした
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
なんにもないところで
骨は なんにもなしになった

竹内浩三1

竹内浩三2

竹内浩三3

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竹内浩三4


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