【百年ニュース】1922(大正11)年1月15日(日) フランスで第二次レイモン・ポアンカレ政権が誕生。社会党のブリアン政権が倒れ,民主共和同盟(国民ブロック)の前大統領ポアンカレ再登板。敗戦国ドイツを半永久的封込めようとする強硬な対独政策を取る。戦争責任の一切をドイツに負わせる厳罰主義を採用。
フランスで第二次レイモン・ポアンカレ(Raymond Poincaré)政権が誕生しました。社会党のブリアン政権が倒れ、民主共和同盟(国民ブロック)の前大統領ポアンカレが再登板することになりました。
この内閣は第一次世界大戦の敗戦国ドイツを半永久的に封じ込めようとする強硬な対独政策を取ったことで知られます。フランスが戦争責任の一切をドイツに負わせる厳罰主義を採用したことで、ドイツ経済は破綻することになります。そしてこれがドイツ国民をナチス指示に向かわせ、ナチズムの台頭と第二次世界大戦を呼び込んだとされます。
パリ講和会議にも出席していた英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、著書『講和の経済的帰結』(1919)において、ドイツに支払い能力を超えた多額の賠償金を課すことは、同国の通貨価値を著しく低下させ、欧州全体に悲劇をもたらす「暴虐な行為」であると非難し、確実に復讐が訪れるであろう(vengeance, I dare predict, will not limp)と予言しました。
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