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【百年ニュース】1922(大正11)年1月13日(金) 前衛画家の泉茂が誕生。独学で版画始める国内で名声を築くが安住せず,1959(昭和34)渡米,1963(昭和38)渡仏し1968(昭和43)帰国。エアブラシを使った新しい表現に挑み,数多くの抽象画を残した。大阪芸術大学名誉教授。1995(平成7)食道がんで死去,享年73。

前衛画家の泉茂いずみ しげるが大阪で誕生しました。1939(昭和14)年に大阪市立工芸学校を卒業すると、百貨店「大丸」に入社し大阪宣伝部に勤務しました。そして独学で版画始めました。

1949(昭和24)年 に前衛美術集団「会ヴァリエテ」を結成しました。会員15名で泉茂のほか、植木茂、澤野井信夫、須田剋太、津高和一、中村真、野尻弘、早川良雄らが参加しました。月に1回のペース会合を開き、自由討論によって、新しい洋画の在り方を探求しました。1950(昭和25)年3月14日から19日には大阪の大丸で「会ヴァリエテ第1回展」を開催しました。

1951(昭和26)年には、瑛九ら9名とデモクラート美術家協会を結成しました。この会は「反公募」を大きく掲げ、権威を気にせず、作家が作品において自己主張ができることを目標にしました。

1957(昭和32)年に第1回東京国際版画ビエンナーレ展新人奨励賞を受賞し国内での名声を確かなものにしましたが、泉茂はそこに安住しませんでした。1959(昭和34)年にはアメリカに渡り、続いて1963(昭和38)年には渡仏します。

1968(昭和43)年に帰国するとエアブラシを使った新しい表現に挑み、数多くの優れた抽象画を残しました。1970(昭和45)年には大阪芸術大学の教授に就任し長く教鞭をとりました。1992(平成4)年には同大学の名誉教授となりました。1995(平成7)年に食道がんで死去、享年は73歳でした。

泉茂
泉茂
泉茂「ハンサムな絵のつくりかた」和歌山県立美術館
泉茂(1922-1995)


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