ねえ、「無一物」って知ってる?

どうもこんばんは、吉沢です。

本当は、前回から「始めます」宣言をした
「いちゃるさんのサービスを受けてみた」
シリーズの続きにいきたいところなのですが、

ちょっとね、
どうしてもアウトプットしたいことが
出てきましたので、

今日はツラツラと書いていきたいと思います。

と言っても、今日話したいことは、それこそ

「いちゃるさんのサービスを受けているから」

考えることができたことでもあるんですね。


なので、実質はシリーズの続き。

スピンオフみたいな感じで
考えてもらえればいいんじゃないかと思っています。


さて、何から話そうか。。。

僕がブログやメルマガの記事を書く時は、
もはやいわゆるジャーナリングの要領で
思い浮かんだ言葉をそのまま文字化しているので、

今僕が考えている思考がそのまま言語化されます。

なので、途中話が脱線することもあるし、
訳のわからない方向に進む可能性もあります。

何なら、もともと書こうとしてた内容と
全く違うものができあがってしまうこともあるかも。

それはどうなんだ、
って感じではあるんですけれど、
これまでのみんなの反応からするに、

そんな感じの”生の思考”というか、
加工されていない話し言葉をそのまま表現する方が、

僕の場合はウケるようです。

なので、このスタイルでやります。

特にnoteの方で書くことや、
これからメルマガで発信していくことは、

限りなく今日の感じの内容に近いものになる予定です。


なぜなら、その方が僕がやりやすいから。


やるべきことよりも、
「やりたい」と思ったことを優先して動いた方が、

僕の場合はアクティブに動けます。

しかも、内省モードをフルに活用して
熟考に熟考を重ねて出したモノよりも、

ただ思いつくまま吐き出しただけの
無加工で雑な情報の方が、
みんなの反応がいいという。

だったら、わざわざがんばって
考えに考え抜いたものを出すよりも、

思いついた時に、思いのままに発信すればいい。

そう思っているので、
このスタイルで行こうと思います。

ちなみに、
メルマガの方にはもう登録してもらえました?

今なら【期間限定】で、
2月に開催した第1回目のセミナー、

「Xを使った自己実現および副業のやり方講座」

の、続編の動画セミナーを、
無料で受け取ることができます。

「期間限定」って書いておいて、
実は無限に受け取ることができる、
なんてことをしている方もいらっしゃいますが、

僕のポリシーは
「自分の言葉に責任を持つ」
ですので、

その時が来たら、
躊躇いなく、容赦無く
バッサリと切ります。

まだ、すぐには考えていませんが、
実はもうすでに、次の登録特典も
構想している段階です。

なので、
今の登録特典がいつまで受け取れるか、
僕にも予測がつきません。

確実に受け取れるうちに、
受け取っておいてくださいね。

どうせ無料だし、
受け取っておいてもらって
損をすることはありませんから。

ちなみに特典動画の感想はこちら💁🏻‍♀️


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さて、思い浮かぶまま言葉を並べていたら、

もうすでに1,200字を超えてしまいました。

やっぱり、
”コミュ”資質が上位にあるのは強いですね。

まさに”才能”。

しかしこれ以上やると
本題になかなか入れないので、
そろそろ進めます。

お付き合いありがとうございました。


で、ですね。

今日伝えたかったことは、
おおよそこんな感じです。


僕の価値観ピラミッドの最上位の言葉は、
最初は「自信」だったんですね。

自分に対して「迷いがない」だったり、
自分を信じることができている、
みたいなニュアンスの定義です。

そこの根本の部分はブレてはいないものの、

「自分に迷いがない状態??」
「自分を信じられている状態??」

って感じで、
それがどういう状態のイメージなのか、
これがずっとぼやっとしたままでした。

そんな中で、何度も言いますが、
某ましーくんの自己受容トークによって、
蓋をしていた過去の闇が開かれてしまったものだから、
(超絶被害妄想w)


「本当の自分って何よ???」


状態が、ここ数ヶ月くらい続いていたんですよ。

まあ、もっと言えばここ数ヶ月どころか、
ずーっとそんなことばっかり考えてるんですけどね。

だからこそ、いちゃる先生のお力も借りて、
そこを探しに行こうとしていたわけで。

いちゃるさんのおかげで、
自分にも根源的な”強み”というか、
「人に対して誇れるものがある」
ということがだんだんわかってきたので、

ほんとに感謝感謝です。


が、まだまだぼやっっとしている状態ではありました。

そんな中で、
実は昨日こんな本と出会いましてですね、、、


安心してください、
アフィリリンクではありません。

物販アフィリは、僕は専門外ですし。

この本ね、めっちゃおもしろいですよ。

テーマとしては、
”東洋哲学”=仏教とかその辺なので、
一見堅い感じにも見えるのですが、

「東大卒のこじらせニート」の著者が、
ゆるーーーーーい感じで解説してくれるので、

めっちゃ読みやすいです。

何なら、内容とか別にいいので
一回読んでみてください。

読み物として読むだけでもおもしろいから。

僕なんか、昨日ベッドでゴロゴロしながら
一人で爆笑しながら読んでましたから。

そういえば窓全開だったから、
品のない笑い声がそこらに響いてたかも、、、


まあ、そこはまあいいでしょ。笑

そこじゃなくてさ、中身です中身。

まずこのタイトルよ。


「自分とか、ないから。」


いやいやいや。
めっちゃ俺のこと否定するやん。

こちとら「自分とはなんぞ??」って
毎日沼っとったんじゃぞ。

「ないから。」

なんて、
一言でバッサリ切るんじゃねえよ👿


と、言いつつ、
僕からすればまったく真逆のことを
バスっと言われたわけですから、

気にならないわけがない。

んで、書店で見つけて、
手に取って読んでみたら、
これまたおもしろい。

秒でKindleで買ってしまいましたわ。

まだ全部読んでないので、
詳しいことは語れないので割愛しますが、
要はざっくり言うと、


「この世はすべてフィクション」


なんだと。

これね、説明しだすとキリがないから省きますけど、

宗教とか哲学とかって、最終的に
「宇宙が何たら〜自然が何たら〜」
って感じのスピリチュアルな感じになるじゃないですか。

この本の結論も、
ざっくり言うとそういう感じの話です。

なんだけど、
アプローチや視点が独特で、
例えも庶民的ってこともあって、
ものすごく腑に落ちるんですね。

僕もスピリチュアル系は苦手で、
新興宗教的なものには全く興味はないんですが、

やっぱり仏教とか禅とかヨガとか、
数千年も歴史があるものっていうのは次元が違うね。

その内容を、
現代っ子が飲み込みやすい表現で
アウトプットしてくれているので、

現代語訳版の経典を読んだような気分です。

あ、あくまで僕の感想ですからね?

気になったら読んでみてください。

そして感想も教えてください。


ほら、また脱線した。

今日伝えたいのは、本の内容じゃないのよ。

何ならここまで、
本当に言いたかったこと一つも言えてないよ。

なので、話をギュンっと変えていきます。


ねえ、「無一物」って、知ってる?


このセリフに反応したあなた。

必ず「反応したよ」ってDMくださいね。

最遊記仲間サイコー😎

ちなみに僕は、
カミサマ編とeven a warm編が大好きです。

何のこっちゃ?と言う方は、
とりあえずこれ読んでみて。


これですよ。

20年以上も前に感銘を受けたこの言葉。

これが今になって、
なんか降りてきたの、しかも今日。


何が言いたいのかって言うとですね、
さっき紹介した本の内容も含めてですけれど、


「本当の自分」
っていう言葉そのものに
捉われてるんじゃないのか、俺?


って思ったわけです。

だってよく考えてみたらさ、

持ち場立場、その時その時の状況で、
言うこともやることも一貫しないのが普通じゃん?


人とのつながりを欲して、
いろんな人と絡みたいと思って
絡みに行っている自分。

大人数の集まりだと
周りに気がいきすぎて疲れてしまうので、
実はあまり参加するのに気乗りしていない自分。

この二つは一見真逆だけれど、
どっちも実際の僕の姿なわけで。

てことはですよ?


絶対的な、不変の「自分」なんてものは、
最初から存在しないんじゃないのか?


「空(くう)」
「無一物」
「道(タオ)」

これらのワードは
それぞれ意味は違うのですが、

僕には共通項が見えます。

それは、
「形がない」ということです。


虚構のもの。

すなわち「フィクション」。

「自分」なんてものは、在って無いようなもの。

無いものだからこそ、
考え出すと沼にハマってしまう、
ということ。


だったら、
初めから「無いもの」として考えれば、
もっと楽になるんじゃないか?

そう思った時、
なんだか心が軽くなった気がしたんですね。


そもそも「自分」なんてないんだから、
「こうしなければならない」
という考え自体が、そもそも不要なわけで。

これまで僕が生きてきた中で、

「こうあるべきでしょ」
「こうしなさい、こうありなさい」
「こうしてほしい」

という周りからの矯正や束縛によって、
今の僕はできているわけなのですが、

それはそもそも、フィクションだった。

フィクションなので、
何かしらの「設定」があるんですよね。

その設定が変われば、当然のことながら
シナリオも結末も前提も、
すべてがガラッと変わってしまいます。


つまり、自分というものは、

その場その場、その時その時で
「変わる」ということがあたりまえのもの。


というふうに考えれば、
世界がなんだかすごくシンプルに見えます。

結局のところ、
自分の心の声に従って動けばいいだけ。

だってそもそも、
実態がない虚構の存在なんだから。

「こうあるべき」とか
「こうあらねばならぬ」とか、

そんなことを考えるからしんどくなるわけであって、

自分が「こうありたい」と思うなら、
素直にそうあればいい。

で、もっと言うならば、

自分が「ありたい」と思う姿を
肯定してくれる人とだけ、
つながっておけばいいんですよね。


ここでもう一度。

「無一物」という言葉があります。

仏に会えば仏を殺せ。
祖に会えば祖を殺せ。
何物にも捕らわれず、縛られず、
ただあるがままに己を生きること。

最遊記より


峰倉先生が伝えたかったことが、
今になってようやくわかってきた気がします。

こんな単純なことに気がつけなかったとは、
僕はまだまだ未熟も未熟です。

周りの期待とか、世間からの印象とか、
そういうのを気にせずに生きたかったはずなのに、ね。

なんでわざわざ、
そっちにハマりにいってたんだろうか。

結局のところ、周りの目を気にして、
「こうでなければならない」という、
それこそ”虚構”=フィクションを
追い求めてしまっていました。


てなわけで、
ちょっと実験的な感じにもなりますが、

これからしばらくは、
意識的に「心の声」に従って
行動してみようと思います。

もしかしたら、いつも以上に
ツイートとかに毒っ気が増すかもしれませんし、

その逆で、急に仏のような優しさを
発揮することもあるかもしれません。

どっちも俺なわけだし。

どっちもフィクションなわけだし。

「そんなに大層に考えない」
っていうのが、僕にとっての正解なのかもしれない。

「何物にも捕らわれず、縛られず、ただあるがままに己を生きる」

僕の言葉に言い換えるなら、こうかな。


「思うがままに、やりたいようにやる」


もしかしたら、
”新生”吉沢が、
近々誕生するかもしれません。

誕生しないかもしれませんが。

この先もどうぞお楽しみに。


次回は、ちゃんとシリーズの続きを書きます(書くはずです)。

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それでは、今日はこの辺で。
またお会いしましょう。
合言葉は、"よいしょ〜💪🏼"

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