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父のこと4 ロケ現場と撮影所

僕が子供の頃、家の近所で映画のロケーション撮影があり、父が、その現場に連れて行ってくれました。当時住んでいたところは、川崎市の鹿島田で、今の新川崎駅の近くです。その頃、新川崎駅はまだなくて、操車場でした。貨物列車の入れ替えなどを行うため、何本もの線路があり、その独特の風景から、映画やテレビなどのロケ地として利用されることが多かったのです。
小学校入学前だったので、子守り役でまだ高校生だった母方のおばが一緒に来てくれました。撮影現場で子供がさわいだり泣いたりしたら撮影の邪魔になりますから、遠くで、おばと同い年のいとこと撮影現場を見ていることが多かったです。下の写真は、左から僕、父、いとこ、後ろにいるのがおばです。この時、僕は3歳。お漏らししちゃったんですね。だから、なんだかバツの悪い顔をしているんです。おばには世話になりました。そのおばも、同い年のいとこも病気で亡くなってしまいました。つまり、この写真で現存しているのは、僕だけということになります。

小学生になると、父は、よく日活の撮影所に連れて行ってくれました。
子供の頃の僕にとって、それはワクワクする体験でした。
撮影所には、空爆で破壊された東京の街の巨大なセットなどがありました。正面から見ると巨大な廃墟なのですが、後ろにまわるとハリボテであることがわかります。
小学校の高学年になったころに連れていかれた時は、数メートルはあろうかと思われる怪獣の足がいきなり目の前に現れ、大興奮したこともありました。当時は怪獣ブームだったこともあり、日活もガッパという怪獣映画を作ったのですが、「怪獣の足」は、ガッパの一部だったのでしょう。ガッパは、人気的にはゴジラにもガメラにも遥かに及ばず、短命に終わりました。ガッパとは、「河童の怪獣」ですからね。当時の少年タッチにとっても、どうも思い入れがしにくい怪獣でした。
言ってみれば、映画の撮影所は、レジャーパークみたいなものだったのです。違うのは、遊園地などのレジャーパークは子供ばかりでしたが、撮影所にいる子供は僕一人でした。なぜか、普段落ち着きがなく授業中も騒いでいた僕も、撮影所の中では、静かにしていました。スタッフや出演者の人たちの独特な緊張感を感じていたからかもしれません。

※イラストは、ChatGPTで作成してます。


小学校の1年か2年だったと思いますが、初めて日活の撮影所に行った時、父がちょっとした仕事の打ち合わせをしなければならず、少しの間一人で父を待っていなければなりませんでした。僕は、ちょっとした広間に連れて行かれ、そこで待っているように言われました。そこには、一人の若い女性が窓のところで一心にギターの練習をしていました。彼女は父に気づくと、「こんにちは」と挨拶し、父は何事か彼女と話をしておりました。多分、「息子が少しの間ここにいるけど、いいかい?」とでも言っていたのでしょう。彼女は、にっこりと頷いていました。
僕は、その女性と二人だけで、その部屋にいました。僕は、まともに彼女の顔を見ることができませんでした。世の中に、こんなに綺麗な人がいるのか!と思ったのです。静かな優しい声で、僕に何事か話しかけてくれたのですが、ドギマギして、僕はまともに答えることができませんでした。再びギターの練習を始めた彼女を、ボケーっと眺めていたとき、父が帰ってきて、僕は、その女性にお礼の挨拶をして、父と一緒に家路につきました。父は、彼女のことを「売り出し中の女優さんだよ」と言っていました。誰だったんだろう・・・。今だったら、スマホで撮ってもらえたのでしょうけど。彼女の美しい姿は、僕の頭の中にだけ残っているのみです。
女優さんにお会いしてドギマギして始まった撮影所見学ですは、ガッパの足を見た時が最後になりました。僕も人並みに中2病・思春期になりますので、親と出歩くのを避けるようになっていったのです。


※イラストは、ChatGPTで作成してます。


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