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「ヴァレンヌ逃亡」 中野京子 著 文春文庫

逃げるときは、全力で一目散に走り去ることです。姉川の戦いで浅井の裏切りを知った瞬間即座に撤退した信長、三方ヶ原の戦いで脱糞しながら逃げた家康、長坂での戦いで妻子を捨ててまで逃げようとした劉備、赤壁の戦いで敗走する曹操・・・。皆、なりふり構わず逃げました。


それらにくらべ、1789年のフランス革命後ヴェルサイユからパリのチュイルリー城に実質的に軟禁されていた、ルイ16世一家のフランス脱出の目論見「ヴァレンヌ逃亡」は、緊張感がなさすぎですし、ルイ16世が優柔不断すぎます。


「パリに出て早々にフェルゼンを切り捨て、宿駅では油断して身分を明かし、少しも急がず五時間遅れで各地点へ到着(p.176)」ということですから、この出国計画がうまくいくわけがありません。


最大の失策は、フェルゼン元帥の解任でしょう。フェルゼンは、「ヴァレンヌ逃亡」を計画した有能な軍人なのですが、マリー・アントワネットと恋愛関係にあり、おそらくそのことに不快感を持っていたルイ16世が、パリの外に出た途端同行し指揮していたフェルゼンに「貴殿はここからひとりでベルギーに向かうがよい(p.82)」と言い渡してしまうのです。


フェルゼンの計画は見事で、「予定どおり時間を守ってさえいれば、逃亡は間違いなく成功しただろう(p.23)」と言われているのだそうです。


ところが、フェルゼン解任以降、

・景色を楽しむため速度を落とし、時速10キロで走行し、ビュシエールの宿駅に到着。その後、モラスの森で休息。(p.124)

・ヴィール・メゾンで20分の休息。王は用を足すため王太子と馬車を降りる。1時間後フロマンティエールで、また馬車を降り往来の人と話をする。(p.127)

・シャントリスで宿駅長の婿ガブリエル・バレが「陛下」と叫び、跪くと、王は「うむ」と頷いてしまう。(p.131)

という油断と隙だらけの逃避行になってしまったのです。


最後のチャンスは、「クレルモンから馬に乗って強行突破」という、ポン・ド・ソム・ヴェールで待機していた軽騎兵の砲兵隊隊長ラデの提案の乗ることでした。


マリー・アントワネットをはじめ女性陣は、提案に乗り気でした。彼女たちは当時の貴族の女性の嗜みとして乗馬ができたのです。しかし、王が断りました。援軍か到着するのを待つという選択をしたのです。しかし、援軍はまに合いませんでした。まに合ったとしても、王一家が無事だったかどうかはわかりませんが・・・。


逃げる場面では、楽観的な予測は禁物です。


もし、フェルゼンを解任しなければ、いや、解任したとしても、途中で「景色を楽しむ」なんて余裕を見せなければ、途中で馬車の故障があっても、遅れはせいぜい2時間から3時間程度ですみ、マリー・アントワネットも死刑にならずにすんだのかもしれません。歴史に「もし」を持ち込んでも仕方ありませんが・・・。



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