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「最後の変身」 平野啓一郎 著 文藝春秋
主人公の「俺」の人生は、側から見れば順調に見えたことでしょう。空気を乱さないいいやつで、勉強はできるけれども、それを鼻にかけることもなく、いい大学の経済学部を出て一流企業に就職するけれど、気さくで誰にでも合わすことができました。
しかし、そんな主人公は、突然会社を無断欠勤し、そのまま引き籠ることになります。
「俺」は、ドロドロした自分の本当の「中身」を見せることなく、外側だけ見せて生きてきたのです。
彼は言います。
『俺は知らないうちに、じっくりと時間をかけて周りの人間に俺自身を理解させるということを諦め、見た目のいい、その場凌ぎの「仮初めの外観」に飛びつくクセを身に着けていた。(p.59)』
環境が変わるたび、目の前の人が別の人に変わるたびに、「俺」は「仮初めの外観」に変身していたのです。
彼及び、彼の周りの人たちは、「差異」に非常に敏感です。「差異」には必ず優劣が忍び込んでいると感じるからです。見つめ合えば、必ず「差異」が見えてきてしまいます。しかし、「差異」を見ないですむ方法があります。隣り合って、同じ方向を向いている限り、二人の差異は気になりません。そして、同じ方向の視線の先に、共通の「敵」がいればいいのです。
「敵」は、「いじめられっ子」かもしれませんし、「大災害」かもしれませんし、「戦争」かもしれません。
多分、ドロドロの「中身」を晒す勇気を持てばいいのでしょう。そして、ドロドロの中に愛おしさを感じることができれば、もう変身しないで済んだかもしれないのに・・・。
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