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父のこと12 演劇と父

高品格と言えば、「ボクサー上がりのコワモテの悪役」というイメージの映画俳優でした。

でも・・・、母は常々言っていました。
「お父さんは、本当は、演劇の人なのよ。もっと、映画とかテレビではなく、演劇をやればいいのに」

幼少期、僕にはその意味がわかりませんでした。演劇など小学校の学芸会以外見たことがありませんでしたので・・・。

僕は、映画やテレビドラマで悪役を演じる父しか知らなかったのですが、役者人生のスタートは劇団員でした。三好十郎主催の劇団(戯曲座という名前だったと思います)で中心的な役者だったのだそうです。

僕が生まれる頃には劇団を辞め、日活の俳優になっていました。そして、石原裕次郎さんの「嵐を呼ぶ男」での悪役ぶりあたりから、世の中に知られるようになっていったようです。

ただ、父は、演劇に魅せられた人だったようで、映画俳優になってからも、日活の中の「演技研究所」で撮影所内のけいこ場で芝居の上演などをしていたようです。そして、父は、その中心人物のお一人だったようです。

その活動が実り、1966年の年末、日活現代劇の第1回の公演が厚生年金ホールで開かれました。出し物は福田善之さん作の「袴垂れはどこだ」です。

袴垂れ(はかまだれ)と名乗る「ぬすっとの大将」が都に出没し、盗んだ金銀財宝を貧しい百姓達にわけ与えていることを知った、ある寒村の爺さま以下7人の百姓達は、いつか袴垂れがこの村にもやってきてくれないかと望みます。しかし、袴垂れは来ない。

ならばということで、この7人が「偽りの袴垂れ党」を作り、いたる所で地頭や長者を襲い、奪った金銀財宝を、その村の人達に分けてやります。しかし、本物の袴垂れは、そんな高貴なヒーローではなかったのです。
・・・という物語りでした。

小学校5年の時に、その劇を見ました。初めて見る劇でしたが、2幕8場という長い劇だったにも関わらず、ひきこまれて興奮して見たことを覚えています。

父のことを「お芝居の人なのだ」と心から思ったのは、この時でした。父は、生き生きと「偽りの袴垂れ党」の爺さまを演じていました。こんな表現ができる父を羨ましく、そして誇らしく思うと共に、嫉妬も感じました。とても、僕にできることではありませんから。

それにしても、宍戸錠さん、高橋英樹さん、松原智恵子さんなど、当時超売れっ子の俳優さん達が出演していて、よくスケジュール調整ができたものだと思います。

「袴垂れ」の当時のパンフレットが残っています。 出演者の欄には、「爺さま 高品格」とありました。それも、いつもの左の端っこの方ではなく、一番右に。

残念ながら、日活現代劇は、資金繰りや俳優さんのスケジュール調整が難しくなったのか、その後再び開催されることはありませんでした。

娯楽は映画からテレビに移っていきましたし、あの時映画会社が現代劇を公演する最後のチャンスだったのかもしれません。


*当時のパンフレット


*スタッフと出演者(パンフレットより)


*あらすじ(パンフレットより)
*発行人 高品格となっています(パンフレットより)
*睦五郎さんによる、父の紹介文(パンフレットより)

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