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「夜の谷を行く」 桐野夏生 著 文春文庫

連合赤軍の起こした山岳ベース事件をもとにした小説です。


1971年から1972年に起きたこの事件は、リンチ殺人で12人を死に至らしめた凄惨な事件でした。その首謀者永田洋子は、女性ならではのヒステリックなとんでもない人物で、そのパーソナリティのおかげで、凄惨なリンチ事件が起きたと、僕は理解していましたし、世間の見方もそうだったと思います。


この本にも、「先に自死した森恒夫を美化し、リンチ事件は、あたかも永田洋子の個人の資質が原因であったかのように断じた判決文は、連合赤軍事件をひとつの色で染め上げることには成功したようだ。永田洋子は鬼女である、という色に(p.67)」と書かれているように、あたかも永田洋子は異常者で、男性側の首謀者で獄中自殺した森恒夫はかっこいい理想を追う青年みたいなイメージだったのです。


でも、それは事実ではありませんでした。


残酷さに男も女もありません。人間は、追い込まれると恐ろしい残虐性を示す可能性があるのです。ナチスのホロコーストもスターリンによる大虐殺、女性最初の数学者ヒュパキアのリンチ殺人、魔女裁判・・・人間はどこまでも残酷になります。


ある局面では、人は、極論に逆らえなくなるのです。しかも、それは全て正義の名の下に行われます。


連合赤軍で、総括を強要され、縛られて寒空に放置されて死んでいった同志たちは、「敗北死」とされました。おこなわれたことは殺人という行為なのですが、「敗北死」となると、死んだ者の革命戦士としての肝が据わっていなかった故に死んでしまったという、死んだ側に責任はなすりつけられてしまいます。

そんな馬鹿なと思ってしまいますが、もし僕がその場に居合わせたら、「それはおかしい」と言える勇気があるかどうか・・・。きっと、その勇気はなかったでしょう。そして、罪の意識に葛藤するか、なかったこととして記憶に蓋をするか・・・。「それはおかしい」と言ってしまったら、僕は総括の対象になるでしょう。


これは連合赤軍などの「左翼」のおかしな人たちによる、おかしな事件ではありません。それと逆の右側の人たちが命じた特攻・玉砕、共産主義者たちへの弾圧・拷問などと同じことです。


連合赤軍には多くの女性が参加していました。それは、永田洋子の思想・計画に共鳴し、「山岳ベースで子供を育てたい、皆で子供を産んで次の兵士を育てたい(p.251)」と思っていたからなのです。その彼女たちは、総括というリンチ・・・お腹の中に子供がいる女性に対する総括という名の下のリンチにさえも抗えませんでした。


でも、抗ったら自分が凄惨なやり方で殺されるかもしれないという状況下で、抗うことができる人が、世の中にどれだけいるのでしょう?


2022年5月28日に、重信房子(日本赤軍の元最高幹部、テロリスト)が釈放されました。一つの時代が終わったみたいな報道もありましたが、本当にそうでしょうか?


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