見出し画像

「日本人の底意地の悪さが日本経済低迷の元凶」 加谷珪一 著 幻冬舎新書

日本では、出る杭は打たれます。自分自身の経験でも、何か新しい提案をすると、日本では歓迎されないことが多かったです。「余計なことをしていないで、言われたことをちゃんとやれ」というわけです。


でも、アメリカにいる時、自分の提案を頭から否定されることはありませんでした。むしろ、ユニークだとか、good insightとか言われて褒められたものです。こうした雰囲気だと、より新しい提案をしたくなるものです。


この傾向は昔から変わらないはずなのに、なんで日本は高度成長できたのでしょうか?


日本の高度成長のきっかけは、「1950年に勃発した朝鮮戦争です(p.104)」。海外からの需要があり、輸出すれば儲かったのです。また、海外の技術を懸命に学ぼうとしました。たとえば、トヨタはGMの車を分解し、徹底的に研究して、技術力を高めていきました。ホンダは自動車レースの最高峰であるF1に挑戦しました。日本は謙虚に学んで果敢に挑戦していたのだろうと思います。


日本は、輸出主導型経済の波に乗ることができました。しかし、技術はたいてい他の国に追いつかれます。安定的な成長をするためには、輸出主導型経済の経済から消費主導型経済に移行することが、一つの手なのですが、その移行することに失敗したのです。しかも、Japan as No.1の時代はとうに終わっているのに、経済が停滞していることが明らかなのに、「ニッポンスゴイ」の大合唱すらありました。日本は素晴らしいところがいっぱいあると僕も思いますが、今大合唱する時じゃないよなと、あの現象には、違和感を持ちました。


これと同じようなことは過去にもありました。


著者は、「明治時代から大正時代にかけて、日本は急激に豊かになりましたが、日露戦争の勝利をきっかけに、国内ではいわゆる「ニッポンスゴイ論」が急激に台頭するようになりました。その結果、日本人は傲慢になり、良いところを積極的に取り入れるという、本来の長所を失ってしまいました(p.176)」と書いていますが、同感です。第1次世界大戦のころが1980年代のバブルに相当し、大恐慌と共に当時のバブルは崩壊します。「バブル崩壊から長期デフレという流れも90年代の日本とまったく同じ(p,174)」です。そして、結局最後は無謀な戦争に突っ込んでいったわけです。


同じことを繰り返してはいけません。


そのためには、「日本人はもう一度、初心に返って、諸外国の良いところは謙虚にかつ積極的に取り入れる努力が必要(p.178)」という著者の考えに賛成です。


この本で初めて知ったのですが、「消費を拡大するための本質的な方法というのは、経済学では解明されていません。(p.106)」なのだそうです。


日本は、足の引っ張り合いがなくなれば、消費は拡大していくかもしれないと思いました。「景気悪くて、みんな苦しんでいる時に、フェラーリ買っちゃいけないよな」なんて考える必要はないんです。日本の経済を回復させるには、消費を拡大することが大切と言うことですから。


と言うわけで、僕がフェラーリを買っても批判しないでくださいね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?