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父のこと7 父の臨死体験

僕が子供の頃は悪役ばかり演じていた父だったのですが、石原裕次郎さんの映画「夜霧よ今夜もありがとう」で初めて善玉の役をやります。石原裕次郎さんを助けてヤクザの銃弾に倒れるという役でした。僕が小学5年の時の映画です。この映画は封切りしてすぐ、やはり父と二人で行きました。

今度は、出演者通用門も出演者特等席もなく、大人たちが皆裕次郎さんになって熱気ムンムンの立ち見席で見ましたので、画面は断片的にしか見えませんでした。映画の中で石原裕次郎さんがバーでピアノを弾いていて、そこにやってきた綺麗な女性が「昨日はどこへ行っていたの?」と聞くと、裕次郎さんが「そんな昔のことは覚えていない」って言うんです。その女性が重ねて「明日は会えるの?」みたいなことを聞くのですが、裕次郎さんは「そんな先のことはわからない」と答えます。僕は、かっこいい!と思いました。そして、絶対このセリフを使ってやろうと決意したものです。

でも、使うと言ったって、
母「昨日みたいに、先生に怒られるようなことはしないでちょうだい」
僕「そんな昔のことは覚えていない」
母「明日は、ちゃんとするのよ」
僕「そんな先のことはわからない」
程度のことで、女子から言い寄られて・・・というシチュエーションはなかったですねぇ。このセリフ、そしてストーリー自体もハンフリー・ボガードの映画「カサブランカ」のパクリ?オマージュ?だったことは、後から知りました。


その後、悪役は少なくなり、刑事役が多くなりました。最初は「ロボット刑事」など子供用の番組だったのですが、やがて「大都会」というテレビ番組で、刑事役としてレギュラー出演することになりました。僕が一浪して大学に入学する頃に始まった番組です。渡哲也さん石原裕次郎さん主演で、渡さんが刑事、石原さんが新聞記者という設定で、父は渡さんと同じ部署のベテラン刑事を演じていました。

この番組が良かったんです。毎回引き込まれるストーリーで、父もハマり役でした。ドラマの中で、水沢アキさんだったと思いますが、「焼きそばには紅生姜がないとダメよね」と犯罪者の兄に言うシーンがあったと記憶しているのですが、なぜかそのシーンを母が気に入り「こういうセリフが書ける人ってすごいわね」と言うのです。紅生姜のどこが・・?とも思ったのですが、後からその脚本を書いたのが倉本聰という人だということを知りました。ドラマが素晴らしかったのも頷けます。


その頃の父は、波にのっているように見えました。菅原文太さんの映画「トラック野郎」にも出演するし、テレビのレギュラーも増えました。時代劇へのレギュラー出演が始まったのもその頃です。ところが、その上昇気流が突然断たれることが起きます。1982年のことです。僕は、社会人になったばかりでした。

健康診断で静脈瘤が見つかり、このままだと命にもかかわると言うことで、父は手術をすることになったのです。手術自体は事例もたくさんあり、心配はいらないと医師から説明を受け、将来起こりうる致命的な事態の予防のために手術にふみきることになりました。

当時僕は、岡山勤務だったのですが、会社を休み手術に立ち会いました。立ち会ったのは、母と僕、それから母方の叔父です。叔父は近くに住んでいて、よく我が家にトランプや麻雀をしに来ていました。父とはとてもウマがあったようで、叔父夫妻が来ると、父は楽しそうにしていました。そんなわけで、大丈夫だろうけれど、父を元気づけるために立ち会ってくれたのです。大学院生の弟は、学校から戻ってきて家で留守番をすることになりました。まあ、でも、大した手術ではないよねと皆が考えていたのです。

長時間にわたる手術だったのですが、無事終わり、医師からは、「血管がもろくなっていたのですが、無事終了しました」との説明を受け、僕らは、ほっとひと安心です。

病院には母が残り、僕と叔父は、病院近くの焼鳥屋に立ち寄り祝杯をあげました。父の心臓手術の後、焼き鳥屋っていうのも、どうかと思いますが、調子に乗って「手術もうまくいったし、ハツで乾杯!」なんて不謹慎なことをやっていたんです。

その後、ほろ酔い気分で家に帰ると、いるはずの弟がおらず、その代わり彼からの置手紙がありました。そこには、「父が、緊急再手術。至急病院にもどるように」と書かれていました。

あわてて病院に戻ってわかったのですが、どうやら、僕たちが焼鳥屋でいっぱいやっている最中にもろくなっていた血管が破れてしまったらしいんですね。それで、急きょ緊急再手術になりました。主治医は、帰宅途中だったのですが、地下鉄のホームで場内放送で呼び戻されたのです。今から考えると、携帯電話もない頃に、よくぞ間に合ってくれたと思います。

父は生死の境をさまよったのですが、なんとか再手術が成功し、その何カ月か後に退院することができました。

退院の日、僕は、車で病院に迎えに行きました。病院からの帰り道、後ろの席に座っていた父は、突然、「なあ、ヨシユキ、不思議なことがあるもんだ・・」と、ぽつぽつ語り始めました。

父は:
「再手術の最中だったと思うんだが・・。周りで騒いでいる声が聞こえてなぁー。 その声が、不思議なことに下から聞こえてくるんだ。 声のする方を見てみると、医者や看護婦があっち行ったりこっち行ったりしてるんだよなぁー。その真ん中に、おれがベッドに寝ているんだよ。」
と、話し始めました。

母と僕は、父の話に引き込まれていきました。

父は、続けます:
「いきなり、まわりが真っ暗になったんだよ。 あわててなぁー。どうしようかと思ったよ。 そうしたら、なんだか、右上の方に、ちいさな光が見えたんだ。 なんとなく、その光の方に行かなきゃって気持ちになってなぁー、そっちの方に歩いて行ったんだよ。 だんだん光が大きくなってきて、それは、本当にまばゆいばかりの光なんだ。それで、おれは、その光の中に入って行った。」

僕も、母も、一言も発せずに、父の話に聞き入っていました。

父は、その先を話し始めました:
「光の中に入ったら、そこは一面のお花畑だった。それは、きれいでなぁー。幸せな気分になったよ。 目の前に川が流れているんだ。ちいさな川だけど、きれいに澄んでいたなぁ。 その時、なにか気配を感じて、それで、川の向こう岸を見たんだ。 そうしたら、もう死んでしまったはずの懐かしい友達がいるんだよ。死んだ戦友とか、友人とかが、みんな、こっちに向かって手を振っているんだよ。おれも夢中で手をふってな。川の中に一歩、二歩とふみだしたんだよ。そうしたら、・・・。」

父は続けます。
「ひとり、変なやつがいたんだ。どうも、変だ、見おぼえないぞって思って、誰だろうと目を凝らしたら・・・。」
「だれだったと思う?ヨシユキ。」
と、運転している僕に突然、父は話をふりました。
僕は、「そんなのわかんないよ」と答えました。

父は、小さい笑みを浮かべ、

「それがなぁ、赤鬼だったんだよ。角が生えててなぁー。 なんで赤鬼なんだろうって、おれは考えたんだよ。 その時、あっと思ったんだ、『待てよ、赤は、止まれだ!!』ってな。 それで、俺はもどってきたんだ。 なぁ、ヨシユキ、もし、あれが青鬼だったら、おれは逝っていたよ。青は進めだからな。」

僕は、信号待ちをしながら、吹き出してしまいました。「なんだよ、ジョークかよ!」と、僕は父につっこみをいれ、母は、「やーね、まったく。まじめに聞いて、損したわ」とすねておりました。バックミラーにうつった父は、してやったりといった表情で、にやっと笑っていました。

父のこうした冗談は、日常茶飯事でした。でも、今から思うと、「冗談めかしていたけど、父は、本当に臨死体験をしたんじゃないかな?」なんて思います。もう少しちゃんと話を聞いておけばよかったと思います。

もう時すでに遅しですけど・・。

父は、「教えてやらないよ」と、川の向こうのあちらの世界でにやっと笑っているんでしょうね。

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