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「小説太宰治」 檀一雄 著 P+D BOOKS

檀一雄が太宰治の奥さんから、熱海で小説を書いているはずの太宰にお金を渡し、連れて帰ることを頼まれます。太宰は、「お金がない」と奥さんに連絡してきたのです。

太宰は、お金を使い果たし、小説も全然書けていないのに、悪びれる風もなく、檀を高級天ぷら屋に誘い、芸者のところに連れて行き、多いに飲みます。当然その代金は、檀が太宰の奥さんから預かったお金から支払われます。

しかし、それだけではすみませんでした。

すでに太宰の飲食代、宿泊代、芸者屋や遊女屋へのつけは相当なものになっていました。とても預かった金では足りません。

そうなると、檀も居直ってしまい、一緒に何日も飲み食いに明け暮れます。この辺の檀一雄の行動もめちゃくちゃです。

三日目の朝、太宰は菊池寛のところに行ってお金を借りるために一旦東京に帰るというのです。一日二日で帰るので、檀一雄に熱海で待っていてくれというのです。檀は待ちます。しかし、いつまで待っても太宰は戻ってこない。檀の記憶では十日だったかもしれず五日ぐらいだったかということですが、いずれにせよミイラ取りがミイラになって、ツケで飲み食いして数日後、檀は、居酒屋の大将の目玉の松に、「太宰を探しに東京に戻り、金を調達してくるように」と言われます。今の時代からすれば、よく宿屋も居酒屋も警察に訴えなかったものだと思いますが、当時はそういう時代だったのでしょう。


檀は、おそらく太宰の居場所は井伏鱒二のところに行けば何か情報が得られるだろうと考え、目玉の松と共に井伏邸を訪ねます。太宰は、その性格から、自分一人で新しい天地を開拓することはないと考えて当たりをつけたのです。それが見事に当たり、太宰は井伏の家に滞在していました。

その時、太宰は檀に言うのです。

「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」

なんとも図々しいセリフです。借金は結局井伏鱒二と佐藤春夫が肩代わりしてくれることになりました。


この時のエピソードが、やがて、小学校の教科書にも載る名作「走れメロス」になっとののだそうです。


しかし、太宰はなんでこんな大それたことができたのでしょう?


太宰には土壇場で開き直るほどの度胸はありません。檀一雄と目玉の松が乗り込んだ時震えていましたし、それまでも飲んでいる時、酒乱の中原中也にからまれると、おずおずと逃げてしまったことから想像すると、太宰が危機に瀕したときにとる手は、無かったことにするか(否認)か、逃げることなのではないかと思います。そして、時々、人が変わったように執拗な攻撃に転ずることもあります。例えば、芥川賞の選にもれた時の審査委員の一人であった川端康成への便箋何枚にもわたる抗議の手紙などです。

基本的に不安が強い人だったのでしょうね。不安・恐怖に対しては、「闘争ー逃避ー凍りつき反応」を示すのでしょうか?川端康成に対する抗議は「闘争反応」、熱海に檀を置いて逃げてしまうのは「逃避反応」、檀一雄と目玉の松に乗り込まれた瞬間には「凍りつき反応」を見せているように見えます。ところが、不安がなんとか解決できそうだとなったら、「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」という自分勝手な自己愛的なセリフが出てくるということなのかもしれないですね。


檀一雄が言うように、太宰は妄想の中に生きていたのでしょう。妄想通りに行かない時には、否認し逃走し、凍りつき、時に闘争するわけです。妄想以外のことが起こる現実が怖かったのでしょう。そして、彼の妄想は自己愛的なものだったのかもしれません。


「太宰の死は、四十年の歳月の永きに亙って、企図され、仮構され、誘導されていった彼の生、つまる処彼の文芸が、終局に於て彼を招くものであった。太宰の完遂しなければならない文芸が、太宰の身を喰うたのである。p2-3」と檀一雄は言います。でも、太宰の文芸を完遂させるはずの死は、その目的を達したのでしょうか?


同じようなことを三島由紀夫の死についても感じます。


50、60、70あるいはそれ以上と生きていればよかったのに。そこで見えてくる現実は、本人たちの想像もしなかったようなものかもしれませんし・・。

妄想は、自由なようで結論は決まっています。でも現実の世界では、想定外のことが起こります。


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