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父のこと9 旅の行き先

入社以来、僕の勤務地は岡山でした。入社時の面接で、本社の人事課長から「向後くんは、ずっと首都圏だから、そういう人は少しの間、水島製油所に勤務してもらうことになっています」と言われました。僕は、もともと実家を出て一人暮らしをしたいと思っていたので、「少しの間」岡山に行くのは、むしろ願ったりかなったりだったのです。

ところが、結果的に12年岡山の水島製油所に勤務することになりました。当時はプライバシーもなにもなく、僕が高品格の息子だと言うことが社内で知れ渡っていたので、そこから知ったと思うのですが、業者の人たちからも「向後さんは、役者になろうとしなかったんですか?」「俳優さんって普段どんな感じなんですか?」「おうちには、俳優さんとか来るのですか?」など、必ずと言っていいほど聞かれました。当時はプライバシーも何もあったものではありません。

僕が勤めていたからというのとは関係なく、全くの偶然なのですが、水島製油所でテレビドラマ「西部警察」の撮影をすることがありました。製油所は巨大な装置があり配管が張り巡らされていて、現実の中の異空間という雰囲気があり、刑事物でありながらバズーカ砲が登場する「西部警察」には、ピッタリのrロケ現場だったのかもしれません。舘ひろしさんが真っ赤なランボルギーニで登場した時には、女子社員が大騒ぎだったのだそうです。僕は、普通に仕事をしていたのですが、総務から連絡が来て、石原プロの専務さんと会うように言われました。僕は、ランボルギーニの前で社員がすずなりになっている中を小林専務さんと初めてお会いすることになりました。さすが、話に聞いていた敏腕名物専務、迫力がありました。面会はあっという間に終わりました。小林専務から「お父さんも頑張っているので、あなたも頑張りなさい」と言われ、僕が「はい」と答えた・・・それだけでした。なんのために僕は呼び出されたのでしょう?小林専務も困ったのではないかと思います。我が社の誰かから、高品格の息子が働いていると聞いたからには、一言声をかけておこうと思われたのかもしれません。撮影で忙しいのに申しわけありませんと思いました。

役者さんたちとスタッフさんたちは、同じチームという感覚があるのか、お互いが強力的なのかもしれません。

僕が組合の下っ端役員だった時、京都旅行に行ったのですが、太秦映画村もそのコースに入っていました。父に「今度太秦に行くんだよ」と話すと、何日か後に父から電話がかかってきて、一般見学者用の場所ではなく、関係者しか入れないところを見学できるようになったと言うのです。僕は太秦撮影所の担当の方と連絡をとり、バスの運転手さんとガイドさんに関係者通用門に行ってくださいとお伝えしました。ガイドさんは、自分の仕事を忘れ、大はしゃぎでした。撮影所では、有名俳優さんたちが実際に演じている撮影現場を見ることができましたし、見学が終わったら、里見浩太朗さんら出演者一同が記念写真におさまってくれました。皆さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

僕は、岡山で楽しく暮らしていたのです。そして、岡山で知り合った女性と結婚することになりました。さて、どうやって両親に知らせるか・・・と思案していたところ、母から電話がかかってきました。電話の内容は、大したことではありませんでした。電話の最後に、僕は、「結婚することにした」と伝えました。母は、絶句し、パニクってしまいました。母がパニクったまま電話はお終わったのですが、やれやれ面倒なことになったなと思いました。
母は、元々不安が強く、自分が予測していなかったことが起こるとパニクってしまうのです。母の不安は、おそらく戦争体験が影響していると考えています。母の実家は会社を経営していたのですが、空襲で全部なくなってしまいました。祖父は焼夷弾に被曝し、危うく死ぬところでした。たまたま井戸の近くにいたので助かったのです。また、母の姉は、脚気になってなくなりました。母にとって、安全・安心が第一でした。ですから想定外のことはあってはならなかったのです。その母を宥めるのは、結構大変だよなぁと思いましたし、いくら想定外に弱いとはいえ、少しは喜んでくれてもいいじゃないかと思ったのです。

2時間ぐらいしてから、また電話が鳴りました。今度は父でした。「結婚すると、今聞いたよ。お前が選んだ女性だから、きっと素晴らしい人だろう。早く会わせてくれ」と言うのです。「ありがとう、なるべく早く連れていくよ」と答え、電話は終わりました。

この電話は、嬉しかった。

少し前に父は仕事から帰ってきて、パニクっていた母から僕の結婚話を聞き、母を落ち着かせたのでしょう。

それから30数年経ちますが、妻とは今も一緒におります。

父は、70歳を過ぎても順調に仕事をこなしていました。また、静脈瘤の手術以降、タバコはやめました。ただし、自称です。映画「麻雀放浪記」では、映画の中とは言え、いつもタバコを吸っていましたし。散歩に行くと言っては、外で吸っていたみたいです。



父が75歳になった時に、妻のアイデアで、「旅行券」を、父の誕生日である2月22日に届くように送りました。母と一緒に温泉でも行ったらいいだろうと思ったのです。

父から、電話がかかってきました。「こんなに嬉しいプレゼントはない」と言うものでした。父の声はちょっと鼻声でした。妻も電話に出て、父と話をしました。それが、父との最後の会話になりました。

それから1ヶ月もしない3月11日に、父は、心臓発作であちらの世界に旅立ちました。

旅の行き先は、そっちじゃなくてもよかったのに・・・。

※イラストはChatGPTで描きました。



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