「祭り」が残り続ける理由を考える
いつもはお客さんとして祭りに参加していた。
今回初めて地元の小さな祭りに最初から最後まで「祭り」に関わった。
関わったといっても祭りを構成する団体が数多くあり、僕は子供会として参加した。
子供会は小学生の子供達が地域で行うイベント(春祭り、盆踊り、ウォークラリーなど)の担当だ。
さて、お祭りについて調べてみると
とあった。最初は神社に近い立場の人たちが祈願のために行っていたのが徐々に広がり「お腹空くから屋台も出そうぜ」と今の形になっていった(んじゃないかな笑)。
大昔はエンタメも少なかったことでしょう。人が集まれる「なにか」を欲していたのでしょう。そして「祭り」という名の下、どんちゃん騒ぎできるツールができた。
色んな種類の祭りがある。
男性と女性が巡り会うための祭り。
お面をかぶって身分を隠し素敵な女性と巡り会うための祭り。
#出会いの場
人間には子孫を残すといえDNAが組み込まれているので祭りが生まれてきたのは必然なんだろう。
YouTubeやゲームなどこれだけエンタメが出てきているのにも関わらず「祭り」は今も健在だ。
祭りに客として行くだけでは祭りの良さは分からない。
祭りを作る側になってようやく「祭り」の存在意義がわかる。
準備はめちゃんこ大変だった。
仕事終わったその足で公民館に向かう。御輿の組み立ての練習をする。「あーだ。こうじゃない。まぁいいか。なんとかなるでしょう」と大人達が楽しそうに話す。
子供達に楽しんでもらえるよう何日もかけて準備をする。
人が人と関わるために「準備はちょっと大変」だけど、挫けそうで挫けない絶妙なバランスで構成されているのが「祭り」なんだと思う。
祭り2days。無事に走り抜け男達はビールで乾杯した。自分で車を運転して祭り会場に来ているのにも関わらず乾杯した。「どのようにして帰るのか?」なんて考えるやつはアホや。
#歩いて帰ったよ
ビールが飲めて良かったとこの時ほど感じたことはなかった。
ビールを美味しく飲むために祭りがあるんだね笑。
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