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アムステルダムDoc映画祭2022日記Day3

11日、金曜日。昨夜は眠かったはずなのに、いったん布団に入ると眠れなくなってしまい、なんだか寝不足の気分のまま7時に起床。熱いシャワー浴びて、朝食をたくさん頂いて、8時半に宿を出発。空は薄曇り。建物の外壁に設置された温度計は11度となっているけれど、さほど寒さは感じないかな。
 
朝の散歩を楽しむ感じで、まだ人の少ないアムステルダムの道を進む。薄曇りの中の街並みがとても素敵。

ほぼアムステルダム中央にあるホテルから西方向に20分ほど歩いて、(フランスの老舗映画会社によるチェーンの)パテの「Pathe City」というシネコンに到着。

9時から、審査対象作品となる「インターナショナル・コンペティション」部門で『Colette and Justin』という作品。コンゴ出身のフランス人男性が、植民地時代から独立までのコンゴの政治を前線に近い場所で目撃していた祖父と祖母に話を聞き、(もとはベルギー領であった)コンゴにおける植民地政策の実態や現地の人々の暮らしやその闘いの歴史を紐解いていく内容。

Alain Kassanda "Colette and Justin"

アムス滞在2日目にして、自分や家族にカメラを向けるセルフ・ドキュメンタリー(=日本におけるジャンルの造語で、英語で言っても通じないはず)の形を取りながら、より大きな物語を志向していく作品が目立つ。家族の物語は観客に響きやすく、そして家族であればカメラも比較的向けやすく、若手が最初に世に問う作品としてキャリアの足がかりとなり得る。そしてその次にいかに進めるかが問われるのは、いつの世も同様だ。
 
10時半に上映が終わり、いったんホテルに戻って一休みして、12時半に宿を出て再び今朝と同じパテの会場へ。
 
鑑賞したのは、審査対象となる「インターナショナル・コンペ」部門で、イランの姉弟監督による『Silent House』という作品。監督たちは、祖父が購入したテヘランの由緒ある大きな屋敷に生まれ育ち、自由な思想の持ち主である母の影響を受け、家族を映像に撮り続けた。

Farnaz Jurabchian, Mohammadreza Jurabchian "Silent House"

母と祖母を中心にした家族の物語に、屋敷の来歴や、王制から革命以降に至るイランの情勢も加わり、長年に渡って撮影された重層的なセルフ・ドュメンタリーだ。たまたまなのか、現在までに見たコンペの4本中3本がセルフ・ドキュで、これはこれで興味深い。感想書けないのが残念。
 
外に出ると晴れていて気持ちいいので、散歩してみる。運河沿いがやはり素敵なのでどうしても同じような写真ばかり撮ってしまう!

素敵なお店が並んでいる通りを見つけ、ここは今度またじっくり来ようと(方向音痴なので)位置をしかと確認。アートの町にふさわしく、ギャラリーもたくさんある。美術商や骨とう品店も多い。

そして、ハンバーガーの自販機ショップを発見。なんと!

15時半にホテルに戻り、溜めてしまった仕事があるので、しばらくパソコンに向かう。
 
そして、17時半からの上映を観るべく17時に外に出て、パテの別場所にある「Pathe De Munt」という会場に向かう。ホテルから約10分でとても近く、こちらはいたって現代的なシネコン。

観たのは、審査対象外で「Best of Fests」部門の『Polaris』(扉写真も)というフランスとグリーンランドの合作で、カンヌのACID部門でプレミア上映されている。

Copyright Balibari "Polaris"

北極海で中型船のフリーランスの船長を生業とするヘイヤットというフランス人の女性と、シングルマザーとして娘を出産したばかりの妹との携帯の会話を通じて姉妹の絆が描かれる作品。人物背景の説明はほとんどないアートタッチのドキュであり、親の愛を知らないがゆえに大人になっても愛されることが分からないとつぶやくヘイヤットの孤独が、冬の氷河から夏の溶岩に至る壮大な自然の中で浮かび上がる。大好物。
 
カンヌではどうしてもコンペなどを追いかけることに追われてしまい、ACID部門になかなか届かないので、こういう秀作がキャッチアップできるのは本当にありがたい。さすが、300本のラインアップを誇るIDFAならでは。
 
ところで、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭(通称IDFA)が300本もの作品を上映できる理由がいくつか挙げられるとして、映画業界外の人には意外に気付かれないかもしれないのが、オランダが完全にバイリンガルの国だからだという理由だ。IDFAでは(ロッテルダムでも)、映画には英語字幕が付いていればいい。オランダ語字幕は不要。英語字幕は通常製作サイドが入れるので、映画祭サイドは字幕代がかからない。映画祭開催国の言語で字幕を入れる場合は映画祭側がコストを負担することになるけれども、オランダではそれが不要というわけだ。なので、映画上映に伴うコストが大幅に節約できることになる。例えば、日本で300本の長編に日本語字幕入れたら、たぶん2億円くらいかかる。むむー…。
 
閑話休題。上映が終わり、IDFAのプログラマーたちと各部門の審査員たちとの懇親ドリンクがあるので、会場に赴き、ビールを1杯だけ頂く。偶然にもドイツのセールス会社の旧知の女性と4年振りに再会できて、とても嬉しく、近況報告に花が咲く。
 
そして20時半から、審査対象作品の「インターナショル・コンペ」部門で『Apolonia, Apolonia』というデンマーク出身のレア・グロブ監督による作品。

Lea Glob "Apolonia, Apolonia"

グロブ監督が、13年間という長きに渡りデンマーク出身でフランス人の女性画家を撮り続け、画家の成長と挫折とその後を見せていく。そこに、ウクライナの女性アーティスト兼人権活動家と、グロブ監督本人の人生が被さり、やがて3人の女性の鮮烈なポートレートが立ち現れる。時代が彼女たちに追いついた。ああ、これは…。
 
いかん。審査対象作品なので、感想を書けないのであった。それにしても、年月の重みを感じさせる作品が続く。
映画にドキュメンタリーもフィクションも無いと普段から考えたり言ったりしているけれども、久しぶりにドキュメンタリー映画祭にじっくり腰を据えてみると、10年以上の年月の重みを携え、それを編集する根気を持ち、完成させる執着心を持ちえた作品がもたらすインパクトは、やはり並々ならぬものがあることを実感せざるを得ない。
 
もちろん、長い時間を費やしたからいいというものではない。いや、長時間をかけて完成にまでこぎつけた作品が何らかの価値を備えていることは絶対に間違いない。しかし、10年に1本作品を完成させたとして、それを仕事と呼べるのかどうか…。間違いなく一生に一度の芸術作品ではある。しかし、短期間に与えられた題材を撮り上げたものが秀逸なドキュになるケースも、もちろん無数にある。熟練のプロによる秀逸ドキュと、若手が手がけた生涯に1作しか作れない渾身セルフ・ドキュとを比べるのは至難の業だ。
 
などと書きながら、ドキュ映画祭をとことん楽しんでいる自分に気付く。22時半にホテルに戻れたので、今日はゆっくりブログを書いているのだけれど、余計なことを書いてしまいそうだ。いよいよ充実のIDFA。明日も楽しみ。そろそろ1時なので、寝ます。おやすみなさい!

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