ボスポラス映画祭訪問日記 Day7
<10月29日>
29日、金曜日。7時起床。ボブ・ディランに怒られる夢を見た。なんだったんだ。シャワーと朝食のルーティンを経て、8時半にロビーへ。
審査員アテンダントのジェイランさんがPCRテストを受ける段取りを付けてくれたので、ロビーで落ち合う。日本の厚労省が求めるフォーマットに記入してサインしてくれる病院をかなり探してくれたみたいだ。「本当にそのフォーマットが必要なのか?」といくつもの病院から言われたらしい。厚労省指定のフォーマットでなくても、必要な項目が英語で記入してあって病院のサインがあればいいだろうとは思うのだけど、公式に厚労省のサイトに書いてあるわけではないので(僕が見た限りでは)、そうは言えない。とても手間をかけさせてしまい、本当に心苦しい。
8時半にホテルを出て、タクシーに10分ほど乗り、病院到着。ジェイランさんが改めて係員と長々と話をし、事情を説明している。それでも、事前に話は通してあったとのことなので、大丈夫のよう。病院のフォームに必要事項を記入していると、母親と父親の名前を記入する欄があり、面白い。親の名前を出して自己紹介する中世的冒険ものみたいだ。「我こそはアラソルンの息子、アラゴルンなり!」みたいな(行きのフライトでLOTRを見ていたのだ)。
病院のロビーで待機している間、ジェイランさんと雑談していると、「日本のプリンセスが結婚したのですよね?」と聞かれ、なんとトルコにも伝わっているのか!と驚く。僕は全くその件については不案内なので、モゴモゴと返答する。関連ニュースを読んでおけばよかった。誰が結婚したのかも実はよく分かっていない。外国に出れば自分が日本代表なので、ある程度のことにはリアクションできるようになっていないといけないなあと反省。
あとでググってみると、そうか紀子さんのお嬢さんなのか、と知る。僕は紀子さんと同い年で、小学校の同じ時期をオーストリアのウィーンで過ごしたことがあるらしい。僕は小学校の4年生と5年生をウィーンで過ごしたのだけど、日本人学校は存在しなかったから、現地校に通いながら、週に2回の日本人補習校なるものに通っていた。そこで紀子さんと一緒だったかもしれない。しかし、覚えていない。
というのも、かなり年月が過ぎて、僕も成人したあと、ある日自宅に電話があり、「カワシマキコさんという方とウィーンで一緒でしたか?」という問い合わせを受けたのだ。訳が分からないまま、「いや、ちょっと記憶にないですね…」と答えたのだけど、後から思うと、宮内庁関連による身辺調査だったのかもしれない。それから程なくして紀子さんのご結婚が発表されて、あの時の電話はそういうことだったのか、と思ったのだった…。
もう30年以上前の話だから時効かな。懐かしい。そうか、あの時の紀子さんのお嬢さんが結婚したのか。時間が流れているなあ。おめでとうございます。
閑話休題。看護師さんに呼ばれ、別室に移動して、口の中と鼻の奥を細い綿棒でこそがれ、検査は10秒で終了。結果は明日、証明書と一緒に出してくれるとのこと。実際に入手できるまでは落ち着かないけれど、やることはやったので、もはや待つのみ。
9時半にホテルに戻り、部屋でパソコンに向かい、帰国後の空港から自宅までのハイヤーを予約する。公共交通機関を使ってはいけないとのことなので、ハイヤーを予約するしかない。ああ、面倒くさい。知人が利用したことがあるという「平成ハイヤー」をサイトで予約。すると確認メールが「株式会社Z」から到着する。社名変更したそうだ。しかし「株式会社Z」という名のメールが来たら、迷惑メールかと思ってうっかり削除してしまうよ。すごい社名変更もあったものだ。
それからしばし原稿仕事。あっという間に11時半になってしまう。いかん、外に出よう。
さて、映画祭で見る作品もなくなり、行きたい観光地は休業中なので、もうこうなるとショッピングしかないな。ということで、お土産を買いに出かける。のんびりと散歩を兼ねて、お店を覗いてみよう。
外に出てみると、金曜とはいえ平日の昼間なのに、ものすごい人出だ。いつもの目抜き通りが竹下通り化している。そして街にトルコの旗がいつもより目立っている。これは、ただ事ではないな。今日は祭日に違いない。と思ってググってみると、10月29日は「共和国宣言記念日」であるとのこと。1923年にアタテュルクが共和国設立を宣言した日。なるほどそれは大事な日だ。それにしてもすごい人出だ!
2時間くらいかけて、土産店を周り、入り組んだ路地で素敵な店を見つけたりして、これはこれで楽しい。
イスタンブール名物ってなんだろうなあと考えながら歩く。ほんとはサバサンドを買って帰りたいところなんだけど、そうはいかないしなあ。
ぶらぶらとカラキョイ地区を散策し、有名な観光名所のガラタ塔などを下から眺めたりする。ガラタ塔の上からイスタンブールが一望できるということで、人気スポットであるらしい。でもものすごい人が並んでいるので、入場は早々に諦める。
13時半にジェイランさんと再合流して、ランチを頂く。今日はチキンのスープと、昨日の昼に続いて牛肉の煮込み。スープはこくがあって味わい深い。毎食スープを頂いているけど、トルコはスープも美味しいのだなあ。そして煮込みは、上にチーズがたっぷりとかかっていて、これまたぐつぐつ状態で出てくる。昨日の昼のゴージャズな絶品にはかなわないけど、これまた別バージョンの味で美味しい(もうもうと湯気が上がっているのだけど、写真に湯気は映らないことを発見)。
ランチを終え、ホテルに一回もどって一休み。それからもう一度外に出て、トルコのお菓子をいくつか買って、またホテルに戻って荷物を置き、17時半に改めて外へ。
18時半から、カルロス・レイガダス監督のマスタークラスがあるのだ。ボスポラス映画祭行きが決まってしばらくしてから、レイガダス監督のマスタークラスがあることを知って興奮していた。もしかしたら再会できるかもしれない!
メキシコのカルロス・レイガダス監督は、日本での知名度はあまり高くないかもしれないけれど(『闇のあとの光』が商業公開されている)、僕は多大なる影響を受けた監督だ。映画業界に関わり始めのころ、レイガダス監督の処女長編『ハポン』に出会い、この作品は僕の人生を変えたかもしれないというほどの重要作になった。
映像の鮮烈さ、主題の崇高さ、そして大胆なセクシャリティ解釈など、徹底した作家性を突き詰めた芸術家であり、ラテンアメリカのアート映画の扉を世界に開いた人物でもある。
東京国際映画祭でレイガダス監督特集を組んで、来日もしてもらい、上映後のトークを重ねたのは僕にとってかけがえのない思い出だ。あれはいつだったのだろうと調べてみると、2009年。なんと、12年も前なのか!
以来、残念ながら連絡を取ることはなく、レイガダス監督はカンヌ映画祭の常連監督となり、審査員賞や監督賞を受賞する大物となったけど、果たして僕のことを覚えていてくれているだろうか?
18時半にマスタークラスがスタート。
冒頭から、レイガタス監督は映画とは何か、そしていかなる姿勢で映画に取り組むかについて、本質的な話題を始める。軽い話題でお茶を濁すことはしない。監督いわく、映画はストーリー・テリングではなく、あるがままのものを映す芸術(Art of Presence)である。つまり、ストーリーを語ることが映画の目的ではなく(それは文学の役目だ)、見ること、観察することにこそその本質がある。そして、時間芸術である映画の本質のひとつに、時間そのものがある。時間としての映像。さらに、見えているもの以上のことを表現すること、イメージと表象について、映画と文学において「シニフィアン」と「シニフィエ」はいかに異なるか。ロラン・バルトの表象論や、ドゥルーズのモンタージュ本質論などを引き合いに出し、さながら記号論や構造主義の講義のような様相を呈してくる。マスタークラスとしては異例の深い内容であり、全身を耳にして聞き入る。
頭に浮かんだもの、あるいは無意識から立ち上ったイメージをいったん脚本に落とし込み、入念に準備を重ね、いざ本番に臨むが、本番では準備以上のものが入り込み、想定以外の何かが生まれることを期待する。つまり、準備では能動的で、撮影では受動的であるという。自分を超えること、存在のその先を映像化すること、そこにレイガダス監督の映画作りへの姿勢がある。コンセプトを超えること(beyond conceptuality)、ストーリー・テリングとキャラクター造形から離れること、それが肝心であると強調する。
まさに、ピュアな芸術家の語りだ。レイガダスの作品に接したことのある人ならば、深く頷く内容だろう。猛烈に面白くて刺激的だ。とてもこの抜粋紹介だけではもったいないので、後日このマスタークラスの内容をきちんと採録してみよう。
司会のエムラさんからの質問が30分。会場からの質問がおよそ45分。質問が途切れることがない。客席から、みんな英語で質問する。映画監督志望者も多いみたいだ。マスタークラスの見本のような雰囲気。
「自分の感覚を信じること、他の誰に言われるのでもなく、自分の中のヴィジョンを信じ、芸術の概念とその価値を大切にしよう」とレイガダスは締めくくる。まさに、ぐうの音も出ない。素晴らしいマスタークラスだ。
僕と一緒に客席で聞いていたのが、審査員仲間のアゼルバイジャンのヒラル監督で、なんと、レイガダスはヒラルの新作のプロデューサーであるという!僕が20年にわたって心底敬愛するレイガダス監督が、イスタンブールで知り合ったヒラル監督のプロデューサーであり、そのヒラル監督の作品は僕が離れた東京国際映画祭に招待されているとは、奇縁の不思議さにクラクラしてしまう。ボスポラス映画祭は、時空がねじれている!
楽屋に行き、レイガダス監督に対面する。5秒くらい考え込んだレイガダス監督は、突如僕のことを思い出し、「おお、君はyoshiか!なんと懐かしい!東京は最高だった!」と大喜びしてくれる。嬉しい。12年振りであることをお互い驚きながら回想し、本当に感動の再会になった。
そこから、映画祭の公式ディナーへ。コンペ作品の監督たちを含む全ゲストが集まるディナーとのことだ。マスタークラスの会場からおしゃべりしながら30分ほど歩き、高級住宅街だという地域の、大きなレストランに到着。大勢の人で賑わっている。遅れて到着した僕たちは別のテーブルを用意してもらい、カルロス・レイガダス監督、女優で監督作も待機中のカルロス夫人であるナタリア・ロペスさん、ヒラル監督、カミヤー神谷さん、そして僕で座る。
いかにしてカルロスがヒラルのプロデューサーとなったか、その顛末をヒラルが面白おかしく語る。そして僕は、いかにカルロスと『ハポン』が自分の人生を変えたかを、語ってみる。するとカルロスとナタリアさんは大層感激してくれて、ナタリアさんは「ちょっと泣いちゃった」。2009年当時にはまだ話せなかったのだけど、20年間伝えたかったことを、今日伝えられた。
やがて、怒涛の映画談義。ヒラル監督が映画監督として認める人と認めない人をアグレッシブに語り始め、僕は同意できない部分も多いのだけど、新鮮な見方が知れて面白い。カルロスが暖かく見守っている。ヒラルは最高だ。茶目っ気があり、熱く、そして優しい。本当に知り合えてよかった。
そして、カルロス・レイガダス監督と、ヒラル・バイダロフ監督が、ともに絶賛する作品について語り始める。「小林正樹監督の『切腹』こそは完璧な作品だ。『切腹』はあらゆるレベルにおいて最高だ」とカルロス・レイガダス監督が熱く語っているのを、僕はあまりの至福におかしくなりそうになりながら、眺めている…。
23時にお開き。帰りはシャトルバスで送ってくれる。大勢のゲストのディナー送迎が、大変な労力であることは想像に難くない。映画祭スタッフの尽力にとても感謝しながら、帰路につく。
忘れられない夜になった。明日はいよいよクロージング、そして帰国だ。本当に去りがたいけれど、最後まで満喫しよう。
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