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アムステルダムDoc映画祭2022日記Day6

14日、月曜日。8時半に外に出ると、本日も晴れだけれど、ぐっと気温が下がったのが分かる。4~5度くらい。昨日までが晩秋だとしたら、今日から初冬になったような感じ。
 
本日も9時から審査対象作品の鑑賞開始。『Port Desire』というアルゼンチンの港町を舞台にした作品。
退役軍人の中年男性が、沖の離島にボートで極秘上陸しようと企む姿が描かれる。と書くのは少し乱暴で、物語は決して分かりやすい形では呈示されない。男性とその家族の暮らしの断片的なショットの繋ぎから、彼が抱えているであろう闇を少しだけ垣間見せていく。フォークランド紛争の記憶が背景にあり、どこか詩的で意欲的なアプローチが試みられている。

Juan Manuel Bugarín "Port Desire"

 続いて10時45分からも審査対象作品で『Wisdom Gone Wild』というアメリカの作品。監督は、サンフランシスコ在住の日系三世の米国人女性。
監督が認知症を患う年老いた母親にカメラを向け、元気だった時期の映像をインサートしながら、最後の時間に寄り添っていく。米国生まれの母は幼少時にアメリカで収容所に入れられていたが、当時のことは話したがらない。その姿を通じ、日系米国人が強いられた過酷な運命が行間から伝わってくる。

Rea Tajiri "Wisdom Gone Wild"

昼休憩を挟み、13時15分からまたまた審査対象作品で『Portrait of My Father』(扉写真)というウルグアイの男性監督による作品。
ほぼ30年前、監督が8歳の時に、ビーチで父が死亡した状態で見つかった。当時両親は既に離婚しており、父とは疎遠ではあったものの、監督は父の死の真相を知りたいと思い、調べ始める。父は鬱を患っており、大量の薬を服用していたらしい。自殺を疑う監督の調査の旅が描かれていく…。
 
あらためての実感として、監督が家族にカメラを向ける作品が実に多い。製作国もアプローチ方法もそれぞれ異なるとはいえ、これは果たして偶然なのか、IDFAのプログラミングの傾向なのか、はたまた現在のドキュメンタリーとそのシステムにおいて深淵な理由が見い出せるのか、とても興味深い。
 
夕方から夜にかけて、昨日に引き続き審査員の話し合いの場が設けられる。真剣にディスカッション。
 
20時にいったん宿に戻り、少し休み、ブログを書いて、22時。一念発起して外出し、「DUTCH DISCO at IDFA」というパーティーに行ってみることにする。「ディスコ・パーティー」に惹かれているわけではないのだけれど、なんといっても会場名が「Duke of Tokyo」なのだ。これはもう覗きに行かないわけにはいかないではないか!写真を撮るためだけでもいいから、行ってみよう(とここまで書いて、外出)。
 
行ってみた。これはすごい。ディープ・トーキョーを再現する内装と、凝りに凝ったインテリア。写真撮りまくりで、一体どこで見つけてきたのか的なポスターも多く貼られ、なんともくらくらする!

大盛況
アムステルダムで出会う池袋と浅草
さりげなく壁にある…。アートなのか?実際のメーターなのか?
これは、一体なんなんだ…?
壁のポスター。どうやって手に入れたのだろう…

実際にはディスコ・パーティーにはなかなかならず、結局は立食パーティーなのだけど、店の奥にカラオケボックス的な部屋が数室あるので、みんなそこで歌いまくっている。なんということだ…!スウェーデンの配信会社の方と語り合ったり、日本の配給会社の方にようやく会えたり、写真撮ったらすぐに帰るつもりのはずが、2時間滞在してしまった。踊りも歌いもしなかったけれど、シュールな雰囲気に酔いしれた…。
 
0時半にホテルに戻り、ブログの残りを書いて、そろそろ1時半。いやあ、なかなかだった!

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