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アムステルダムDoc映画祭2022日記Day7

15日、火曜日。本日は午前に上映がないので、部屋でパソコンに向かう。
 
11時半にホテルを出て、パネルディスカッションを聴きに行く。「危機下にある映画人を支援する国際連帯」(International Coalition for Filmmakers at Risk=ICFR)の活動を報告する毎年定例のパネルで、今年はローラ・ポイトラス監督のイニシアティブで開催された。
『シチズンフォー スノーデンの暴露』(14)で知られるポイトラス監督は、今年発表した新作『All The Beauty and the Bloodshed』がベネチア映画祭の最高賞を受賞している。自らはかつて米国統治下のイラクに撮影に行ったことをきっかけに米国当局の監視下に置かれたと語り、体制による映画作家への圧力を、身をもって体験している監督だ。今年のIDFAはポイトラス監督を名誉ゲストとして迎え、特集を組み、その偉業を讃えている。
 
「危機下にある映画人を支援する国際連帯」(ICFR)は、政治によって活動を制限され、投獄され、表現の自由と命が危機下にある映画人を支援することを目的としている。今年の3月に僕が仲間たちと実施した「ウクライナ映画人支援特別上映」の寄付金の送付先をICFRとしたことはIDFA日記ブログの初回に書いた通りで、ICFRは映画人にとって極めて重要な存在となっている。
 
IDFAディレクターであり、ICFRの創設メンバーのひとりであるオルワ・ニラビア氏が冒頭の挨拶を行う。
 
「今回のトークでは、極端に酷い状況について語ります。世界の様々な地域で迫害され、恐怖にさらされている私たちの同僚たる映画人たちが存在します。対象がひとつの国に限らないことを無念に思います。過去数年のうちに、映画人の迫害がまるでパンデミックのように各地に広がり、映画人が極端な形で告発され、極めて非情な刑を受けているからです」
 
続いて、エジプトで2年の刑に服したMoataz Abdelwahabプロデューサーが登壇し、基調挨拶を行う。IDFAに深い感謝を述べ、この日が来ることをどれほど待ったことか、と語る。辛い詳細は飛ばしましょう、と続け、獄中で読んだ300冊の本のうち、特に一冊がとても気に入り、ちょうど映画化権を取得し、資金集めを始めたという。そして次のように続けた。
 
「創作の自由を制限するあらゆる国の暴力行為はこの世界から消えるべきです。なぜなら、芸術はこの世界の魂であるからです。そしてそれが無くては、我々は絶滅してしまいます。今回の経験により、私は創造性とは苦しみから生まれるものだということを固く信じるようになりました。フランスの詩人ド・ミュッセが言うように、『大いなる痛みほど我々を偉大にさせてくれるものはない』のです」
 
「私は、自らの芸術によって罰せられているあらゆるアーティストとクリエイターへの支持を表明します。イランのアーティストたちが自由を得られるように、声をあげていけたらと願っています。ウクライナ戦争の集結も願います。自らの経験を記録にすることはあらゆる芸術家の責務であり、それが後々まで、証言として残っていくのです。それらの証言こをは、我々が主人公の物語であり、映画であるのです」
 
「最後に、友人の言葉を借りると、『私は忘れておらず、許してもいないが、確実に前進はしている』。生き延びるにはいくつもの方法があるものです。ありがとうございます」と結んだ。
 
続いて、同じく「危機下にある映画人を支援する国際連帯」(ICFR)創設者のひとりであるロッテルダム映画祭ディレクターのヴァーニャ・カルジェルチッチ氏がICFRの近況を報告する。
 
2020年に立ち上がったICFRは、アフガニスタン、イラン、エジプト、ミャンマーなどで苦境に置かれる映画人に寄付を行い、支援を表明してきた。そこにウクライナの戦争が勃発し、かつてない規模の支援が必要だと直ちに認識し、同国への寄付を急いだ。ドイツやアイルランドや日本など世界各地から支援が届いたことに驚き、感激したという。
ヴァーニャ氏からコメントを引き継いだオルワ氏が、「日本で支援上映を実施した人が来てくれています」と、客席にいる僕を見つけて感謝の言葉をかけてくれたので、立ち上がって一礼する。とても、とても恐縮する。
 
オルワ氏は、自身も映画を製作中にシリアで投獄された経験を持つ。何万もの人々が亡くなり、自分もいつ死んでもおかしくなかったという。同じ房にいた85名の青年たちの安否は全く分からない。しかし、自分は拷問は受けず、生き延びることができた。どうやら、自分の知らない人も含む大勢の映画人が支援の声を上げてくれていたらしく、刑務所の看守は困惑して暴力を見送り「お前は誰なんだ」と言われたという。その時はどうして聞かれたのか分からなかったのだけれど、何かが起きているのだなということは感じられたと話す。
 
「映画人コミュニティーの力を過小評価してはいけません。自分がひとりでないと思えることの価値は、過少評価してはならないのです。世界中の映画人のキャンペーンが体制の決定になんら影響をもたらさないことは当然あるでしょう。しかし、私個人には大きなインパクトをもたらしたのです。自分は強くなり、ひとりでないと思うことができました。真に強力な貢献となりうるのです。」
 
続けて、2013年に展開されたトルコの反政府運動についての映画を構想中に拘束され、18年の刑で服役しているトルコの女性のプロデューサーの存在が報告され、獄中から届いた彼女の手紙が読み上げられる。
 
「IDFA映画祭と観客のみなさま、イスタンブールの中央にある女性刑務所でこの手紙を書いています。あまり映画を見る機会はありませんが、各地で拘束されたたくさんの女性が集まっており、その一人一人が固有の物語を持っています」
 
「みなさんとアムステルダムで映画を見る代わりに、こうして刑務所から手紙を書いているという状況も、全く独自の物語です。ドキュメンタリーだったとしたら、あり得ない!とみなさんは言うでしょう。なんといっても、2013年の反政府運動の映画の企画を考えていただけで、懲役18年の刑なのです。そう、映画は存在すらしていません。話していただけなのです」
 
「ただ、今日の世界を見ていると、驚くべきことではないのかもしれません。テヘラン、ブダペスト、キーウ、モスクワ、カブール、移民キャンプ。我々の状況や物語は似ています。レイシズムと差別が世界的に蔓延してきた時代において、あらゆる悪の存在にも関わらず、我々はそれでも映画を作る力を見つけていくのです。これは、頑なに自分たちの物語と、国境を越えた信じがたいほどの連帯感を語り続けてくれる、わが同僚たる映画人たちのおかげです。みなさんの声と支援は、刑務所の高い壁と鉄条網を超えてきます。世界中の都市で拘留され、密かな抵抗を続けている映画人たちも、あなた方の声が聞こえていることを確信しています。みなさんに愛と感謝を送ります。映画の話だけができる日が来ることを夢見て」
 
会場は水を打ったようになる。
 
オルワ氏は冒頭に言っていた。我々に何が出来るわけでもない。ただ、まずは知ること、そして話をすること、ここからしか始まらない、と。
 
本当にそうだ。つまり自分がいま出来ることは本日のトークをレポートし、日本に届けることだ。
夜に映画を2本見たものの、本件の報告が何よりも肝要と思い、映画の感想は割愛し、本日は以上とします。
 

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