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アムステルダムDoc映画祭2022日記Day10

18日、金曜日。今朝も小雨交じりというか、ギリギリ降らないで保っているような空。朝の気温は5~6度かな。
アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭(通称IDFA)は昨日でいったん区切りがついた形で、多くの映画人が本日帰ってしまう。ともに日々を過ごした審査員の方々にも、昨夜のうちに別れを告げている。ただ、僕はなるべくなら最後までいて映画を見続けたいので、この週末も残るつもり。
 
最後の三日間にも、受賞作品の再上映など、ぎっしりと上映プログラムは組まれている。本日については、僕は4本の作品をまとめて見られる通し券を購入。そのうちの1本は見ているのだけれど、残り3本が見たい作品だったのでここぞとばかりに購入した次第。入場時にリストバンドを渡されて、これで出入り自由という仕組みらしい。

VPROというのはスポンサーのひとつ

まずは1本目。9時45分から『All That Breathes』というインドの男性監督による作品へ。カンヌ映画祭で最優秀ドキュメンタリーに与えられる「Golden Eye賞」を受賞している。IDFAでは「Best of Fests」部門での紹介。 

Shaunak Sen "All That Breathes"

デリーに住む二人の兄弟が、空から落下したトンビを回収して治療する獣医業を自発的に行っている。トンビってそんなに落下するのか?と思ってしまうのだけど、公害がひどいデリーの環境と関係があるらしい。トンビの有益性などを解説しながら、生き物すべてに対する兄弟の真摯な取り組みが描かれ、全編を通じて詩的なトーンで統一されている(そして絶妙なユーモアも)。

兄弟の活動はニューヨーク・タイムズの記事に取り上げられたことをきっかけに、資金が集まるようになる。念願の正式な動物病院を開けるかもしれない。そんな時に、兄のアメリカ留学が決まり、弟は天を仰ぐ…。

リアルとリリカルのバランスが素晴らしい。カンヌ受賞も大納得の秀作だ。
 
続いて、イギリスの女性の監督による作品で、『Merkel』。そのタイトルもずばり、ドイツの首相を16年務めたアンゲラ・メルケルの姿を紹介する内容で、これはとても見たかった1本。

長年に渡って欧州をまとめ、民主主義の守護者であったメルケルの若き日々から引退するまでを、豊富なフッテージと、トニー・ブレアやヒラリー・クリントンなど世界の著名政治家たちの証言などを交えながら見せて行く。とても見易く、スムーズにまとめられていて、まずはとても面白い。ただ、16年の在位期間に世界は激動し、その全てを網羅できるはずもないので、もっと知りたいという欲が先に出てしまう感も否めない。だが、映画である以上、これはある程度仕方がない。足りない部分は、配信系ドキュメンタリー・シリーズ的な形での発表を期待しよう。
 
ドイツ経済を豊かにすることを最優先し、ロシアからのエネルギーをフル活用し、中国市場の恩恵にたっぷりとあずかり、現在を考えるとメルケルの功績に疑義を挟む見方は多々あるに違いない(日本に関心が薄そうなのも在任時には少し残念だった)。映画は、メルケルがプーチンを欧州世界に引き込むことに失敗した例を挙げ、彼女の負の側面も見せていく。とはいえ、オバマとのタッグでデモクラシーの堅持に尽くしたことと、移民危機の際にドイツの国境を開放して人道主義を優先させたことなどが映画のハイライトになっていく。
 
少なくとも私腹を肥やすことに関心は全く無く、生まれ育った東ドイツの抑圧の時代から、壁崩壊後の自由の素晴らしさを体感した個人的経験をもとに、民主主義と自由主義と人道主義を最重要視し、無私の政治家であったことはよく分かる。政治家を讃える作品はプロパガンダになり得るので注意が必要とはいえ、本作を見る限りでは実に偉大なリーダーであったと感じ入る心を止めるのは難しい。

Eva Weber "Merkel"

若い頃の映像のメルケルは、控えめな中にも眼光が鋭く、80年代のマルガレーテ・フォン・トロッタ監督の映画に出演していてもおかしくないシャープな魅力を放っている。これは日本でも公開されてほしい。
 
『Merkel』が終わり、4本立て上映の次の3本目は見ていた作品なので、ホテルに戻って少しパソコンに向かう。
 
16時に外に出ると、かなりちゃんとした雨が降っている。例年どおりのアムステルダムの気候になったということかな。
 
劇場に戻り、リストバンドを見せることも無く入場が出来て(こういうおおらかなところがIDFAのいいところだ!)、4本立て上映の4本目は、『Nothing Compares』というアイルランド出身女性監督による作品(扉写真も)。タイトルから連想できるように、シンニード・オコナー(リアルタイム世代としては、「シネイド」表記は馴染まない)に関する作品で、これもずっと見たかった。

90年代初頭に圧巻の歌唱力と鮮烈なビジュアルでポップス界の頂点に立ったオコナーが、1992年10月の「サタデー・ナイト・ライブ」のライブでローマ法王の写真を破り割き、壮絶なバッシングを受けた経緯を振り返っていく。母親に激しい虐待を受けた幼少時代から、シンガーとして20歳前後でブレイクするまでの経緯が語られ、やがて湾岸戦争中のアメリカのコンサートで国家が歌われることを拒否したり、フェミニズム運動の先頭に立っていったりする姿が描かれていく。特にアイルランドにおける中絶の禁止に反対し、カトリック教会の価値観を激しく批判し、それが「サタデー・ナイト・ライブ」のパフォーマンスに繋がっていく。
 
おそらくポピュラー音楽史上で例を見ないほどの激しいバッシングを受けたオコナーは、表舞台から消えて行く。これは、当時を生きた人であれば、誰もが知っていることだ。ただ、「サタデー・ナイト・ライブ」で彼女を呼び込んだ司会がティム・ロビンスであったことは知らなかったし、そこで披露されたボブ・マーレイの「WAR」のカヴァーの鬼気迫るパフォーマンスが見られ、そしてその数日後に行われたボブ・ディランのデビュー30周年記念ライブに登場した彼女の姿と、あまりにも壮絶なブーイングの光景を改めて目にすると、心が揺るがされずにはいられない(しかもそれがディランの記念ライブだという事実があまりにも悲しい)。
 
特に、ほどなくしてアイルランドで中絶が合法となり、オコナーの貫いた姿勢がわずかでも報われたことを知り、そしていかに2022年がオコナーを振り返るのに相応しい年であったかを噛みしめると、一層作品が胸に迫ってくる。
 
音楽ドキュメンタリーは日本でもそれなりに紹介されるので、公開を期待していいかな?アイリッシュ英語が聞き取れない箇所が多々あったので、是非とも日本語字幕付きで見直したい。しかし音楽ドキュは当たらないと配給会社の人から聞いたこともある…。どうだろう、とても重要作なので、是非期待したい!
 
外に出て、20分ほど歩いて、初めての会場に向かう。問題なく到着。
 
18時半から観たのは、今回IDFAで審査員を一緒に勤めたフィンランドのベテラン女性監督、ピルヨ・ホンカサロ監督が2004年に製作した『The 3 Rooms of Melancholia』という作品。ピルヨさんは今朝帰国してしまったので感想を直接伝えられずに残念なのだけれど、素晴らしい作品だった。ベネチア映画祭を始め数々の映画祭で受賞し、2005年のヤマガタでも上映されている。 

Pirjo Honkasalo "The 3 Rooms of Melancholia"

三部構成からなる本作は、まずはロシアのサンクトペテルブルクにある全寮制の軍の養成小学校にキャメラを向け、不幸な生い立ちからその施設で過ごさざるを得ない10歳前後の男の子たちを映していく。どうやら、チェチェン紛争が時代の背景にある。第2部では、そのチェチェンの破壊された街で孤児を引き取る活動をする女性に焦点があたり、第3部では、チェチェンの少年たちの姿が描かれる。無垢な、無辜なる少年たち。セリフは最小限とし、映像と音楽で全てを見せて行く技術とセンスと、伝えたいメッセージに対する深い思いに感動する。
 
これが2004年の作品だ。まさに今年を語る作品として、完璧に通用する。ドキュメンタリーの凄さを痛感せざるを得ない。昨日見たエジプトのユースリ・ナスラッラー監督は、現在イラン社会を揺さぶるヴェール問題を90年代にいち早く取り上げており、そしてピルヨ・ホンカサロ監督はロシアによる戦争を2004年に語っている。いずれも今年の審査員でご一緒した方々であり、なんということだろうと、深いため息をつく…。
 
偉大な監督たちとご一緒した幸せを噛みしめながら、冷たい雨の中をとぼとぼと歩いて、ホテルへ。ロビーの売店でサンドイッチを買って、ブログを書いて、23時半には就寝予定。アムステルダムも、いよいよあと二日。もっと、もっと見たい。
 
 

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