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アムステルダムDoc映画祭2022日記Day4

12日、土曜日。7時起床、朝食をたくさんいただく。日中にあまり食べる時間が無いのだけれど(映画祭サイドが飯抜きスケジュールを組んでいるわけでなく、空き時間に自分の予定を詰めているため)、朝食だけで普通に乗り切れる感じ。
 
外に出ると、朝靄の街。土曜の午前8時に外にいる人はほとんどいない。美しい。

15分歩いてPathe City会場に着き、9時から、審査対象作品で『Non-Aligned: Scenes from the Labudović Reels』というセルビアやクロアチアなど5ヵ国の共同製作作品。

Mila Turajlić "Non-Aligned: Scenes from the Labudović Reels"

1961年、ユーゴスラヴィアのティトー大統領のイニシアティブのもと、ベルグラーデにおいて非同盟諸国首脳会議が開催された。米ソのいずれの陣営にも属さない「第三世界」の国々による初の本格的な会議であり、その模様を撮影し続けた存命のカメラマンに話を聞きながら彼の活動を振り返り、いまは存在しないユーゴスラヴィアという国のある時点での歴史を見つめていく内容。題材の希少性もさることながら、60年前の映像と音声のフッテージを掘り起こすアーカヴィストたちの気が遠くなるような作業に敬意を抱かせる。
 
続けて11時15分から同じ会場で、同じく審査対象作品の鑑賞。『Journey Through Our World』というオランダの作品。
 
コロナによるロックダウンのため、家の中で過ごし続ける初老の夫婦の日々を綴る内容。家には緑豊かな庭があり、植物や虫や、つがいのカラスの姿など、庭の小宇宙を高性能のカメラが美しく映し出していく。並行して、オンラインで定期的に連絡を取っている友人が癌で弱っていく経緯が語られ、コロナの中の日々を扱う作品として特別な視点を持った内容になっている。

Petra Lataster-Czisch, Peter Lataster "Journey Through Our World"

コロナと言えば、昨日の日記ブログで自分や家族を撮影対象とする「セルフ・ドキュメンタリー」が多いことに触れたら、複数の知人たちから、コロナの影響も大きいのではないかとのコメントを頂いた。確かにコロナのもとで作られたドキュメンタリー映画は世界中に存在し、日本でも多くの作品を目にしてきている。『Journey Through Our World』はその中でも個性的な1本になるのだろう。
さらに想像すると、数年間に渡ってある対象を撮り続けてきた監督が、コロナをきっかけに撮影に区切りを付けて編集に取り組み始め、それが今年になって完成してきたということも言えるかもしれない。世界のドキュメンタリーに接するにあたり、2022年は特別な年なのだという気がしてきた。
 
会場を移動すると、日本からロッテルダム映画祭にインターンとして滞在しているYさんにばったりお会いできたので、少しおしゃべり。そしてYさんのお知り合いで日本語が堪能なオランダ人女性を紹介され、お話してみると、日本映画の研究をされているとのこと。彼女から、後日取材してよいか?と尋ねられたので、どこまでお役に立てるか分からないけれどもちろん、とお答えする。
 
14時から「What gender are film festivals?」というトークを聴きに行く。映画祭に長年身を置いていた自分としては、極めて重要なトピックだ。
IDFAディレクターのオルワさんと、作家で哲学者のSimon(e) van Saarloosさんとの対談。クイア映画の受け止められ方に関する問いかけがなされ、人の苦痛を観る行為とその受け止め方のパターン化された硬直性に疑問が呈され、議論は深遠かつ急進的なレベルで展開される。理解が追いつかない箇所が多々あったので、シモンさんの書いたエッセイをのちほど読むことにして、間違ったことを書きたくないのでここで詳述はやめておく。

16時から上映に戻り、今回は審査対象でない「Best of Fests」部門で『The Pawnshop』というポーランドの作品(扉写真)。審査対象試写はやはり気合を入れるので、合間にこういう作品が入るとホッとする。
 
ポーランドの貧困地区で営業する巨大な質店を舞台にしたドキュメンタリー。質店というよりは「なんでも買います、なんでも売ります」的な店で、店内には膨大な品数が並ぶものの、そのほとんどがガラクタかその寸前の品ばかり。儲けはわずかでオーナー夫婦のケンカが絶えないけれど、どこかユーモラスな彼らの日々の営みと奮闘が描かれていく。

Łukasz Kowalski "The Pawnshop"

商売の不調を始終嘆く夫婦でいながら、貧困で苦しむ地元の人々の話に親身になって耳を傾け、彼らの持ち込む些細なモノを買い上げ、スープを食べさせてあげたりする。ユーモラスな描写と、社会の底辺の苦しみの描写が絶妙なバランスで成り立っている秀作だ。
 
少し時間が空くので、ホテルに戻ってパソコンを叩き、20時にまた外に出て上映へ。
 
20時半から観たのは、審査対象となる作品で『Much Ado About Dying』というイギリスの監督による作品。監督が年老いた叔父の介護をせねばならなくなり、その叔父との日々を綴る内容。これも「セルフ・ドキュメンタリー」の範疇に含めてもいいかもしれない。ただし監督は若手ではなく、2006年からドキュメンタリーを作っており、ロンドンの活動に限界を感じてインドに移住して作品を撮ろうとした矢先に叔父から電話で呼び戻されるところから映画は始まる。

Simon Chambers "Much Ado About Dying"

元役者だった叔父のキャラクターが極めてユニークで、それが映画の見どころとなる(シェイクスピア好きな叔父にちなみ、タイトルは「から騒ぎ=Much Ado About Nothing」から取っている)。僕も介護に片足を突っ込んでいるのでその大変さが少しは分かるのだけれど、監督は叔父に散々振り回されるものの徒労感は映画に見せず、ユーモラスな語り口に終始する。その忍耐力の強さがもうひとつの見どころとなる…。これ以上は書けない。
 
撮影に4年間を費やしており、まさしくコロナ中に編集に取り組んだのだろうと思わせる。家族の映画は、確実に今年のトレンドだ。
 
上映終わって22時。審査員全員でホテルのバーで一杯飲むことにする。ここでの会話が非常に盛り上がり、一気に互いの距離が縮まった!あえて審査対象作品の話はしなかったのだけれども、他の映画祭で見た作品について完全に意見が割れて、特にエジプトのユスル監督と僕の好みが全く合わず、大爆笑のうちにこれは審査会議が楽しみだということになった。感想を議論し合う緊張が一気に解けて、素晴らしい機会になった。
 
何だかとても安堵した気分に浸りながら部屋に戻り、日記ブログを書き、すでに審査対象作品の鑑賞が半分を過ぎてしまったと自覚し、早くも寂しい。そろそろ0時半。寝ます。明日がまた楽しみで仕方がない、充実のIDFA。

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