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ベネチア映画祭2023予習「コンペ」編

8月30日から、記念すべき80回目を迎えるベネチア映画祭が始まります。僕は行くことが出来ないのですが、コンペのラインアップがあまりにも豪華なので、地団駄を踏んでいます。この無念さと対峙するためにも、素晴らしいラインアップを予習するブログを書こうと思い立ちました。行けなくとも、カンヌに続き2023年はこれだけの重要作が世に送り出されているということを知るのも、重要なはずだと思う次第です。

表記について、原則として英語タイトル(英題が見つからない場合は原題)、作品の国籍は(分かる範囲において)監督の出身地としています。そして、内容について認識の誤りがあったらあらかじめごめんなさい、ということで、スタートします!

〇『The Promised Land』ニコライ・アーセル監督/デンマーク

ハリウッドでも活動するデンマーク出身のニコライ・アーセル監督。近年だと『ダークタワー』(2017)がありましたが、有名なのは『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』(12)や、脚本を手掛けた『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(09)になるでしょうか。

"The Promised Land" Copyright The Jokers

「舞台は1755年、貧しいカーレン隊長は、不可能なミッションに挑む。それは、人が住むことの出来ない不毛の地を征服し、入植地として開拓することと引き換えに、王室の一員としての位の獲得を目指すことだった。するとカーレンの前に、土地を実力支配する傲慢な男があらゆる手を尽くして彼を追い出そうと立ち向かってくる。しかし、それに怯むようなカーレンではなかった…」

どちらが善玉なのかがすぐには判断できないのだけど、攻める側のカーレン隊長役に、我らがマッツ・ミケルセン。おそらく彼の夢や野望の運命を描くことを主眼としているのでしょう。スケールの大きな北欧時代劇の期待に胸が躍る思いです。

 〇『Dogman』リュック・ベッソン監督/フランス

リュック・ベッソン、監督としては『ANNA/アナ』(19)以来となる新作。キャリアの初期から映画祭とは無縁の次元で活躍してきたリュック・ベッソンとしては、おそらく、僕の勘違いでなければ、カンヌとベルリンとベネチアのメジャー映画祭を通じて、これが初めてのコンペ入りであるはず。なので、ベッソンがベネチアのコンペ入り!というのは、これだけで事件だと言えるかもしれません。

で、やはり、アクションやSFのイメージが強い従来のベッソン作品とは異なり、今作は異色の人間ドラマであるようです。ネットで探せるシノプシスはとても短く、「人生によって傷つけられてきた青年の驚くべき物語。彼の魂は、犬たちが与えてくれる愛で癒されていく…」というもの。なので、ドッグマン。

"Dogman" Copyright Shanna Besson - 2023 –LBP– EUROPACORP–TF1 FILMS PRODUCTION–TOUS DROITS RÉSERVÉS

「彼無しに映画はあり得なかった」とベッソンがコメントしている主演に、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。カンヌで最優秀男優賞を受賞した『ニトラム/NITRAM』(19)の静かに不気味な演技が印象的でした。不安定な内面を抱える人物を演じさせたら抜群な存在ですね。

彼がまだ今ほどの知名度が無かった2014年、出演した『神さまなんかくそくらえ』と共に東京国際映画祭に来日してくれて、当時映画祭のプログラミング・ディレクターだった僕は彼と過ごす時間が少しあったのですが、いや、なかなか大変な人だったのでした…(まあ、その話はまたいつか)。根っから自由で繊細でピュアなアーティストであることは間違いありません。以来、本気で応援しています。

久しぶりにベッソンがじっくりと描く、アクション抜き(おそらく)の人間ドラマ。固唾を飲んでその出来を期待しましょう。

〇『La Bête』ベルトラン・ボネロ監督/フランス

ボネロ監督新作!とはいえ、日本では最後に公開されたのが2014年の『サンローラン』のようで、そうなのか。僕はかねてから贔屓にしている監督で、東京国際映画祭勤務時代には『メゾン ある娼館の記録』(11)や、『ノクトラマ/夜行少年たち』(16)などを招聘してきました。シャープな社会の切り取り方に定評があり、物議を醸しつつ注目され続けるフランスの重要監督のひとり、と呼んでいいはずです。カンヌの常連ではありますが、新作はベネチア。

"La Bête" Copyright Carole Bethuel

「AIが君臨する近未来。人間の感情は邪魔なものとされるようになった。感情を除去するため、ガブリエルは過去に戻り、DNAを清めようとする。その過去でガブリエルは大恋愛の相手、ルイに再会する。しかし彼女は恐怖の訪れを感じ、大惨事が近いことを予感する…」

過去に戻るのがタイムスリップ的なものなのか、そうではない別の展開なのか、興味深いですが、とにかく、核となるのは愛の物語であるのでしょう。

主演のガブリエル役に、レア・セドゥ。そして、当初ルイ役に決まっていたのが、昨年スキー事故で急逝してしまったギャスパー・ウリエルだったそうです。本当に辛く、映画界全体にとっても大きな損失でした。そして代役として決まったのが、イギリスのジョージ・マッケイ。『1917 命をかけた伝令』(19)で走り続ける彼ですね。 

仏語タイトル『La Bête』は、英題が見つからなかったのですが、The Beast のこと。映画の概略が「ビースト」に繋がらないのですが、何が野獣なのだろうか…。ああ、日本公開を祈りましょう。

 〇『Hors-Saison』ステファンヌ・ブリゼ監督/フランス

ブリゼ監督新作もベネチアなのか!盟友ヴァンサン・ランドンに、カンヌとセザール賞の双方で主演男優賞をもたらした『ティエリー・トグルドーの憂鬱』(15)、同じくヴァンサン・ランドンと組んだ『At War』(18)などを通じ、労働者に寄り添った強烈な社会派リアリズム作品でカンヌを沸かせてきたブリゼ。とはいえ、落ち着いた作風の『女の一生』(16)はベネチアで国際映画批評家連盟賞を受賞していることもあり、ベネチアとの縁も深いですね。安楽死を扱った『母の身終い』(12)も忘れられません。

新作タイトルは、「Out of Season=季節外れ」という意味。

 「マチューはパリに住んでいる。アリスはフランス西部の海岸沿いの町に暮らす。マチューは有名な俳優で、50代になろうとしている。アリスはピアノの先生で、40歳を過ぎた。ふたりは15年以上前に愛し合い、そして別れ、時は過ぎ、それぞれの人生を生きてきた。傷もふさがっていった。そんなある日、マチューが憂鬱な気分を癒すべく温泉地を訪れると、偶然アリスに再会する…」

"Hors-Saison" Copyright Biennale Cinema 2023

あああ。たまらないですね…。マチュー役に、ギヨーム・カネ!そしてなんと、アリス役に、アルバ・ロルヴァケル!!うおー!!ああ、これはもう…。

このスチール写真を眺めながら、胸をかきむしられるような甘美なノスタルジアや危ないセンチメンタリズムを味わいつつ、いつか見られる日のために胸を焦がして待つことにしよう…。

〇『ENEA』ピエトロ・カステリット監督/イタリア

名優セルジオ・カステリットの息子であり、父と同じ俳優の道を歩んでいるピエトロ・カステリット。父セルジオも監督をしていますが、ピエトロも演出を手がけ、本作が2本目の長編監督作品です。1作目の『The Predators』(20)は、ベネチアの第2コンペ的部門の「ホリゾンティ」部門に出品され、脚本賞を受賞しています。複雑な家族が絡むふたつのストーリーを並行して描く構成で、暴力的で不穏な雰囲気を醸し出す語り口に個性があり、将来を期待させる作品でした。さて、コンペ入りした新作はどうでしょう。

「ギリシャ神話の英雄アイネイアース(Aeneas)の名を持つ青年エネア(Enea)が、親友のヴァレンチーノと組み、ドラッグとパーティを楽しみ、法とモラルの外側の世界を発見していく」

"Enea" Copyright Biennale Cinema 2023

 半グレ的な、若いギャング青年たちが目撃していく世界を描くもののようです。エネア役を、ピエトロ監督本人が演じています。スター監督が多いベネチアコンペの中で、若手監督として存在感を発揮できるのか、注目です。

〇『Maestro』ブラッドリー・クーパー監督/アメリカ

ここ10年くらいでしょうか、ベネチアがアメリカのアカデミー賞の前哨戦スタートの場として重要視されるようになりました。振り返ると、『ラ・ラ・ランド』(16)、『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)、『ROMA』(18)、『ジョーカー』(19)、『ノマドランド』(20)、あたりがベネチアのコンペでワールド・プレミアされています。ここから、オスカーに向かって行く、という流れがありますね。

俳優と脚本家のストライキが続くハリウッドで今年のアカデミー賞の行方は全く不透明なわけですが、それは改めて注目するとして、今年は本作が重要な候補作になっていくでしょう(ブラッドリー・クーパーは俳優でもあるので、ベネチアに行けるのだろうか?)。 

"Maestro" Copyright Netflix

レナード・バーンスタインと、妻のフェリシア・モンテアレグレとの生涯にわたる愛の物語を描く本作。レナード役にブラッドリー・クーパー、フェリシア役にキャリー・マリガンということで、既に世界的に話題になっていますね。

ひとつ映画の外に飛び火した話題として、ブラッドリー・クーパーがレナードに似せるために着け鼻のメイクを施したことが、ユダヤ人的な鼻を誇張させることで人種差別的であると指摘されたことに対し、レナードの遺族が父親の鼻は実際に大きかったのだから何の問題もないとコメントした、というニュースがありました。

ともかく、ベネチアで世界のプレスが大いに注目する1本になるでしょう。こちらはNetflix作品ということで、12月以降の配信が予定されているようです。 

〇『Priscilla』ソフィア・コッポラ監督/アメリカ

ソフィア・コッポラ監督新作!いやあ、本当に注目作が続きます。『オン・ザ・ロック』(20)以来3年振りの新作。
プリシア・ボーリユーという名の女性が、やがてプリシア・プレスリーとなり、キング・オブ・ロックンロールとの長年に渡る愛憎とグレイスランドにおける日々を描いていく作品であるようです。

"Priscilla" Copyright Biennale Cinema 2023

バズ・ラーマン監督の『エルヴィス』(22)においても、欧州で従軍中のエルヴィスがプリシアとパーティで出会って意気投合していく幸せで甘美なシークエンスがあり、印象に残りました。『Priscilla』ではソフィアがいかなる視点をプリシアに注いでいくか、興味津々です。ベネチア映画祭のHPに寄せたソフィアのコメントを訳してみます: 

「アーティストとして私が心がけていることは、登場人物の視点を通じて世界を描く際に、そこに善悪のジャッジを含めないことです。私は常に、アイディンティティや主体性、あるいは自己変革といった概念に興味を持ってきました。この作品は、プリシラがいかにして彼女自身となったのか、そして彼女と彼女に続く世代にとって、ウーマンフッドがいかなる意味を持ったのかを見つめていくものです。プリシラは、あらゆる若い女性が大人となる過程で経験する物事を共有していきますが、彼女の場合はあまりに巨大で尋常ならざる環境下においてでした。プリシラの物語は、ユニークであり、そして信じがたいほど共感できるものなのです」

本作もアカデミー賞に絡んでいくことは間違いないでしょう。 

〇『Finally Dawn』サヴェリオ・コスタンツォ監督/イタリア

今回、ベネチア映画祭の予習ブログを書こうと思ったのは、サヴェリオ・コスタンツォ監督の新作が入っていたからです。それほど、僕にとってコスタンツォ監督は思い入れのある監督で、というのも、『素数たちの孤独』(10)を心の底から愛しているからなのでした。ベストセラー小説を映画化した『素数たちの孤独』は、ふたりの男女の幼年期から青年期に至る関係をひりひりとした緊張感の中で描き、青春映画の金字塔の1本だと信じています。当時東京国際映画祭で招聘し、ラジオなどの媒体で「控えめに行って天才です」とコスタンツォ監督についてコメントしたものでしたが、残念ながら作品は日本公開を果たせませんでした。しかし、現在のイタリア映画における押しも押されぬ最大の実力派スター俳優のふたり、ルカ・マリネッリとアルバ・ロルヴァケルの若き姿を刻印した作品として、永遠にイタリア映画史に残る作品であるはずです。

ふうー。興奮してしまった。失礼しました。で、コスタンツォ監督、なかなか新作が届かない年月が続きました。アダム・ドライバーとアルバ・ロルヴァケルを迎え、ベネチアに出品されて両者がそれぞれ男優賞と女優賞を受賞した『ハングリー・ハーツ』(14)のあと、この度の『Finally Dawn』が実に9年振りの劇場用長編ということになります。いやあ、待ったよ!

「『Finally Dawn』は、1950年代のチネチッタにおいて、若い女性のミモザが経験する一夜を描く。彼女は数時間の間、主人公となり、それは生涯忘れることのない一夜となる。その一夜で、少女は大人の女性になるのだった」

”Finally Dawn" Copyright Biennale Cinema 2023

なるほど。映画のエキストラ女優が、一夜限りの名声を手にする姿を描くドラマであるのだろうと思われます。

コスタンツォ監督のコメントによると、当初は、50年代にイタリアのメディアを大いに騒がせた殺人事件の被害者の女性を描こうと構想したのだそうです。ただ、執筆するに従い、無垢な少女の死を描くより、彼女の魂の救済に関心が向いていったとのことで、『Finally Dawn(=ついに夜明け)』は、まだ世界を驚きの目で見られるシンプルでナイーヴな個人の魂の救済に関する作品であると考えるのが好きだ、と書いています。

サヴェリオ、新作完成おめでとう!

〇『Comandante』エドアルド・デ・アンジェリス監督/イタリア

個人的興奮が続いて恐縮ですが、エドアルド・デ・アンジェリス監督も思い入れが強い監督です。2018年の東京国際映画祭でアンジェリス監督の『堕ちた希望』をコンペ部門に招聘し、最優秀監督賞と最優秀女優賞を受賞しました。荒廃したイタリアの景観の中でサバイブする女性の姿を描く演出力と映像の力に惹き込まれ、映画祭の作品選定に没頭していた時の、初見時の興奮が今でもまざまざと蘇ります。

そもそも、シャム双生児の姉妹を主人公に、彼女たちに歌わせて金を稼ぐ父親との確執を海辺の街を舞台に描いた『切り離せないふたり』(16/イタリア映画祭にて上映)がベネチア「ベニス・デイズ」部門に出品されて絶賛され、すでに監督は世界的に注目される存在になっていました。そして『堕ちた希望』を経て、5年振りの新作が本作『Comandante』ということで、コンペ作品でありながら今年のベネチアのオープニング作品でもあるという形で迎えられています。

"Comandante" Copyright Biennale Cinema 2023

『Comandante』は、第2次大戦時にイタリア軍の潜水艦の指揮官であったサルバトーレ・トダロという人物の英雄譚を描くものであるようです。

トダロの乗る潜水艦は、大西洋を航行中、ベルギー船に遭遇し、砲撃戦に発展する。そしてトダロ側が戦いに勝利し、ベルギー船を沈めることに成功するとなるや否や、もはや無力となった相手は敵でないという当時の海の掟に従い、トダロはベルギー船の乗員26人全員を溺死から救うべく救助活動を始める。3日間に亘り、潜水艦は海面に浮上し続け、敵艦に見つかるリスクを犯しながら、トダロは救助活動を続けたのだった…。

史実に驚くとともに、これまでは市井の人々の苦闘のドラマを描いてきたアンジェリス監督のスケールアップにも驚かされます。なるほど、イタリアの映画祭のオープニングにふさわしい。トダロ役には、出演作が引きも切らないピエルフランチェスコ・ファヴィーノ。イタリア映画祭でもお馴染みの、濃ゆーい顔のスター俳優。びったりですね。

エドアルド、コンペとオープニング、おめでとう!

〇『LUBO』ジョルジョ・ディリッティ監督/イタリア

職人気質のディリッティ監督、新作がベネチアです。あまり日本での公開作品は多くありませんが、イタリア映画祭では度々作品が紹介されていますね。ベルリンのコンペに出品された前作『私は隠れてしまいたかった(Hidden Away)』(20/イタリア映画祭で上映)は、現代アートの異端児の姿を描き、特殊メイクを施した怪演でエリオ・ジェルマーノに主演俳優賞をもたらしました。

"Lubo" Copyright Biennale Cinema 2023

 「1939年、ノマド芸人の男性ルボは、スイス軍に徴兵され、ドイツ軍の侵攻に備えて国境を守る任にあたる。それからほどなく、3人の幼い子どもたちを連れ去ろうとする警官を阻止しようとして、妻が死んだことを知る。ルボたちは、イエーニッシュと呼ばれる移動する民であり、政府当局は”移動する子どもたち“を再教育の名のもとに強制連行保護するプログラムを進めていた。ルボは、子どもを取り戻し、彼と同胞たちに正義がもたらされるまで闘おうと決意する」 

Yenisch/イエーニッシュという民について、浅学にして知識がなく、そのような事態があったのかと関心が募ります。ディリッティ監督のストーリーテリングには定評があるので、しっかりと歴史的事実を見せてくれながら、その先にある人間の尊厳を力強く描いていくのであろうと想像します。しかも主人公のルボ役に、『大いなる自由』(21)で見せた圧巻の存在感が記憶に新しいフランツ・ロゴフスキ。ああ、これはかなりの期待作です。

 〇『Origin』エヴァ・デュヴァネイ監督/アメリカ

デュヴァネイ監督は『グローリー/明日への行進』(14)が、アフリカ系女性として初めてアカデミー賞作品賞にノミネートされた存在として知られ、硬派な社会派ドキュ『13th 憲法修正第13条』(16)から、ファンタジーの『リンクル・イン・タイム』(18)まで、硬軟取り混ぜたフィルモグラフィーを誇ります。

"Origin" Copyright Biennale Cinema 2023

新作は、アフリカ系女性として初めてジャーナリズム部門のピューリッツア賞を受賞した、イザベル・ウィルカーソンの人生の映画化であるとのこと。アメリカにおける人種階層化を深く研究した人物であり、彼女の著書『カースト』のデュヴァネイ監督による映画化を2020年にネットフリックスが発表したことがあるようですが、本作がそれにあたるのかどうか、少し不明です。確認しきれていませんが、本作はネットフリックス作品ではないようです。

主演に『ドリーム・プラン』(21)でアカデミー助演女優賞にノミネートされたアーンジャニュー・エリス。デュヴァネイ監督はエリスの才能と情熱に感服したと絶賛しており、本作もアカデミー賞に絡んでくるかもしれません。

〇『The Killer』デヴィッド・フィンチャー監督/アメリカ

来ました、デヴィッド・フィンチャー監督新作!『Mank/マンク』(20)のアカデミー賞10部門ノミネートも記憶に新しいですが、3年振りの新作がベネチアコンペ。これもカンヌは地団駄を踏んでいるだろうなあなどと妄想が止まりません。

"The Killer" Copyright Netflix

「ある暗殺者が、運命のニアミスを犯し、そして、国をまたいだ、決して個人的なものではないはずのマンハントの過程で、雇用主と闘い、自分自身とも闘う」

ごめんなさい、一文しか見つからない英文シノプシスを懸命に意訳してみたものの、下手くそで良く分かりませんね。同タイトルのグラフィック・ノベルが原作となっているようです。

フィンチャーは「緊張を届けるシステムとしての復讐劇」に注目した、とコメントを書いています。脚本が『セブン』(95)のアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーと知った時点ですでにチビりますが、主演はマイケル・ファスベンダーと、共演にティルダ・スウィントン。おお。

こちらはネットフリックス。震えて待ちましょう(でもスクリーンで見せてほしい!)。

〇『Memory』ミシェル・フランコ監督/メキシコ

ミシェル・フランコ監督新作!こちらも贔屓の監督で、彼の格差社会に切り込む恐ろしいリアリズムについては、「あしたメディア」のコラムで紹介したことがあります。戦慄の『ニュー・オーダー』(20)はベネチアで審査員賞を受賞し、僕も心底震え上がる傑作だと思っていますが、本国ではその描写が極端であると賛否両論が起こったとの報道も目にしました。メキシコで、最もアクティブに問題作を国際的に問うている作家のひとりであることは間違いありません。

『ニュー・オーダー』はメキシコで起きる物語でしたが、新作『Memory』はアメリカが舞台の英語映画です。 

"Memory" Copyright Biennale Cinema 2023

「シルヴィアはシンプルで規則正しいい生活を送っている。生活の中心は、娘と、仕事と、断酒ミーティングだ。しかし、高校の同窓会のあと、ソウルがシルヴィアの家までやってくることで、全てが台無しになってしまう。予期せぬ再会は過去への扉を開くことになり、両者に深いインパクトを及ぼしていく」 

なるほど。これも見るのが恐ろしい。順調に更生を歩んでいた生活が、元の荒れた状態に戻ってしまう恐怖。観客は止めろ止めろと叫ぶのだが、容赦なく主人公たちは堕ちて行ってしまうのだろう…。これまでの作品でも、ミシェル・フランコの世界では、平穏な生活は一瞬の隙を見せただけで、いとも簡単に崩壊してしまうのだ。恐ろしい、だがどうしようもなく見たい。シルヴィア役にジェスカ・チャスティン、ソウル役にピーター・サースガード。

ミシェル・フランコがHPに寄せているコメントを訳してみます。

「何らかの理由で社会の隙間に落ちてしまう人々を、映画で描きたいと思いました。周囲の期待に沿えない ーあるいは沿いたくないー 理由は、しばしば彼らの記憶の中にしか存在しない出来事に根付いていることがあります。しかし、極限にまで社会の周縁に追いやられることが、過去の影から逃れ、現在に人生を築く機会になり得るのです。『Memory』は、人が過去の影から本当に逃れられるのかどうかを描く作品です」

〇『Io Capitano』マッテオ・ガローネ監督/イタリア

マッテオ・ガローネ監督新作がベネチアに!ゼロ年代以降の最も重要なイタリア人監督のひとりとはいえ、カンヌ常連の印象が強いガローネ。前作『ほんとうのピノッキオ』(19)はベルリンの特別上映がワールド・プレミアでしたが、脱カンヌを意図しているのかどうかはともかくとして、4年振りの新作を心から歓迎したいです。

"Io Capitano" Copyright Biennale Cinema 2023

「ダカールを離れヨーロッパを目指すふたりの青年セイドゥとムサの、波乱に満ちた旅の物語。砂漠の危機、リビアの収容所の恐怖、そして危険な海を経る、現代のオデッセイ」

移民/越境の主題に正面から取り組む作品のようですが、もしかしたら冒険ファンタジー要素も加えているかもしれません。いや、これは全くの想像で、『五日物語』(15)や『ほんとうのピノッキオ』のイメージに引っ張られているだけです。むしろ『ゴモラ』(08)や『ドッグマン』(18)のリアリズム路線でしょう、いや、『リアリティ』(12)のような夢幻の世界もあるし、とにかくガローネ新作のトーンを予想することは難しい。 

ガローネのコメントによれば、実際に地獄の苦しみを乗り越えた人々に直接話を聞き、現代のオデッセイを語るべく、彼らの視点にカメラを置くことを決めたとのこと。「本作では、西側の視点から見ることに慣れている我々にとっては、リバース・ショットのような見え方になるはずです。それは声なき者についに声を与える試みなのです」 

2010年代のシリア危機以降、ヨーロッパで越境映画は特にたくさん作られてきましたが、ガローネなりの新機軸がいかに見られるのか、超期待です。

〇『悪は存在しない(Evil Does Not Exist)』濱口竜介監督/日本

このベネチアコンペの超豪華ラインアップに食い込む濱口監督、もう本当に素晴らしい。超豪華というか、超欧米偏重のベネチアのコンペ、唯一のアジア作品です。

"Evil Does Not Exist" Copyright Biennale Cinema 2023

誤った憶測を避けたいので、紹介は割愛しますが、郊外の平穏な暮らしを都会人が侵していく物語であるようです。『ドライブ・マイ・カー』の音楽の石橋英子さんとの新たなコラボレーションから生まれた作品であると、監督はHPにコメントを載せています。

昨年は深田晃司監督『Love Life』(22)がベネチアコンペ入りしましたが、いかに濱口監督と深田監督の存在が日本映画界にとってかけがえがないか、改めて痛感します。濱口監督のベネチアでの充実を心よりお祈りします!

 〇『Green Border』アグニェシュカ・ホランド監督/ポーランド

70年代初頭から活動するポーランドのベテラン、ホランド監督新作。ワイダやキェシロフスキの脚本家として、そして『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』(90)や『太陽と月に背いて』(95)や『敬愛なるベートーヴェン』(06)の監督として、3度のアカデミー賞ノミネート監督として…、など実績を挙げるとキリがないほどの存在ですね。 

近年はベルリンでのワールド・プレミアが多い印象があり、狩猟文化に抵抗する女性の姿を描いた『Pokot』(17)がベルリンの銀熊賞を受賞しています。その後の『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(19)もベルリンで、ウクライナの飢饉という重大な歴史的事件を告発する重要作でした。今作も重要な主題に取り組んでいます。

"Green Border" Copyright Biennale Cinema 2023

「ベラルーシとポーランドの境に危険な湿地帯である森が広がっており、グリーン・ボーダーと呼ばれている。そこでEUを目指す中東やアフリカの難民たちは、ベラルーシの独裁者ルカシェンコが冷笑的に仕掛ける地政学的な罠にはまってしまうのだ。つまり、ルカシェンコはヨーロッパを挑発するために、EUへの容易な通過を約束するプロパガンダを展開し、難民を国境に誘うのだった。この秘められた戦争の歩兵であるかのごとく、安定を捨てて活動家に身を転じたジュリアと、国境警備官のヤンと、シリアの家族の人生が交差していく」

これは、また強烈。いかに難民/越境/ボーダーの主題が欧州映画においていまだに重要性を失わないかを痛感します。独裁国家ベラルーシと国境を接するポーランドが抱く危機感を、遠いアジアで想像することは簡単ではないですが、地政学的に常に危機に晒されてきたポーランドでなければ語れない物語が映画史にはたくさん存在するわけで、ドイツの迫害を生き延びたユダヤ人少年の姿を描いた『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』から30年、ホランド監督の重要性はいや増すばかりです。

〇『The Theory of Everything』ティム・クルーガー監督/ドイツ

1985年生のクルーガー監督、日本での紹介例はあまり無いですが、ベルリンの「エンカウンター」部門に出品され審査員特別賞を受賞した『トラブル・ウィズ・ビーイング・ボーン』(20/東京国際映画祭にて上映)のキャメラマンを務めています。映像に狭窄的な美学があり、非常に独創的な作品でした。 

監督作としては、ベネチアの「批評家週間」に出品された『The Council of Birds』(14)があり、森の中の小屋に招かれた数名の男女が、不在の小屋の主の帰還を待つことから始まる不思議な物語でした。端正なアートのルックに、密かに欲望と音楽が絡み、オープンエンディングも魅力的であった印象が残っています。新作『The Theory of Everything』は、9年振り2作目の長編監督作であるようです。

"The Theory of Everything" Copyright Neue Visionen Filmverleih

「1962年。物理学者のヨハネスが学会に出席すべく、スイスアルプスを訪れる。そこで画期的発見をしたと話すイラン人学者と出会うが、彼は忽然と姿を消してしまう。五つ星ホテルで博士論文の執筆を続けるヨハネスはすぐに行き詰まり、ジャズピアニストのカリンと知り合う。ヨハネスの私的なことまで知っているようなカリンは不思議な存在であるが、関係を持つ。しかしカリンもやがて姿を消す。やがてドイツの物理学者が死体で発見され、警察は殺人と判断する。そしてヨハネスは、誤った記憶、リアルな悪夢、不可能な愛、そして山脈の背後に隠された、暗くうごめく謎にからめとられていく…」

ミステリードラマ、なのかどうか分かりませんが、前作『The Council of Birds』も幾人かの人物が姿を消すという内容であり、人間の実存や実体性といった概念がクルーガー監督の関心事なのかもしれません。今回のベネチアコンペの有名監督陣の中では、クルーガー監督は比較的知名度が低いため、逆に作品の力がどれだけ大きいのだろうと、俄然興味を惹かれます。

〇『Poor Things』ヨルゴス・ランティモス監督/ギリシャ

ヨルゴス・ランティモス監督新作!もはやギリシャの監督というよりは、ハリウッド監督と呼ぶ方が相応しいかもしれませんね。ブレイク作『アルプス』(11)はベネチアコンペ、『ロブスター』(14)はカンヌで審査員賞、『聖なる鹿殺し』(17)はカンヌで脚本賞、『女王陛下のお気に入り』(18)はベネチア審査員特別賞でそのままオスカーまで駆け抜けました。ベネチアとカンヌを行き来しながら、なんというキャリアの急上昇。

"Poor Things" Copyright 2023 20th Century Studios All Rights Reserved.

新作はディズニー(サーチライト・ピクチャーズ)で、『哀れなるものたち』という邦題が既にネット上で見つかります。現代のフランケンシュタイン的物語で、予告編も公表されていますが、ファンタスティックでビビッドなルックに期待がそそりますね。 

「ベラ・バクスターの驚異的な進化とその驚くべき物語。彼女は聡明で独創的な科学者であるゴッドウィン・バクスター博士のもと、死から蘇った。バクスター博士に庇護され、ベラは学習に意欲を示す。言語の取得に飢え、彼女は巧妙な弁護士であるダンカン・ウェッダーバーンとともに逃げ出し、世界を股にかける冒険が始まる。時代の偏見から逃れ、ベラは平等と解放を支持するという目的を持ち続ける」

 ベラ役にエマ・ストーン、バクスター博士がウィレム・デフォー(マッドサイエンティストにぴったりだ)、ウェッダーバーン弁護士にマーク・ラファロ(これも嬉しい)。いいですね。これもアカデミーまで行きそうです。エマ・ストーンはワールド・プレミアだった『ラ・ラ・ランド』(16)のベネチアで主演女優賞を受賞しているので、ゲンのいい映画祭。しかし、ストライキで来場できないだろうことが残念…。ともかくこちらは確実に日本公開が期待できそうなので、楽しみに待ちましょう。 

〇『El Conde』パブロ・ラライン監督/チリ

パブロ・ラライン監督、嬉しい新作です。2010年前後まではチリの政情を根柢に持つ作品群で台頭し、88年のチリの国民投票の推移をブラウン管TV的画調で描いた『No』(12)に大いなる刺激を受けた僕は、東京国際映画祭のコンペに招待したのでした。しかし監督の来日が叶わなかったことに猛烈に残念な思いをしたことを、昨日のことのように思い出します。

以来日本公開作も順調に続き、『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』(16)でジャッキー・ケネディを取り上げたり、『スペンサー ダイアナの決意』(21)でダイアナ妃を主人公としたり、作品の主題や規模も拡大し続けています。とはいえ、重要な歴史的局面に関心を示す姿勢は一貫していると見てもいいのかもしれません。そして新作はチリの歴史に戻ったようです。それも、ずばりピノチェトを描く作品です。

"El Conde" Copyright Pablo Larrain / Netflix

「『El Conde』は、チリの現代史にインスパイアされたパラレル・ワールドを舞台とするダークコメディ/ホラーである。作品は世界のファシズムの象徴であるアウグスト・ピノチェトを、大陸南部の寒い地の廃墟に暮らすヴァンパイアとして描く。彼は存在し続けるために悪を食べなければならない。しかし250歳を超え、ついにピノチェトは血を飲むのを止め、永遠の命を放棄することに決める。世界が彼のことを盗人として記憶することにもはや耐えられなくなったのだ。そして家族には失望されてきた彼だったが、ある予期せぬ出会いが、彼に新たに生きる情熱を与えるのだった」

うわあ、これはすごい。独裁者ピノチェトを吸血鬼として描くとは。ラライン監督のコメントも訳してみます。

「長らくピノチェトを、歴史を通じて存在することを止めない吸血鬼としてイメージしてきました。吸血鬼は決して死なず、決して消えず、そして正義を無視する独裁者の犯罪も消えることはありません。ピノチェトは処罰されることがなく、その暴力性を見せたいと考えました。はじめて彼の姿を日の目に晒すことで、世界が彼の本質を感じ、顔を見て、臭いを嗅ぐことが出来るのです。そのために、風刺と政治的ファルスのスタイルを選択しました。そこで将軍は実存的危機に苦しみ、果たして吸血鬼として生き続けるために、犠牲者の血を飲み、永遠の悪で世界を苦しめ続けることに価値があるのかどうか、決断を迫られます。物事がいかに危険なものになりうるか、歴史が繰り返されていることに警鐘をならす寓話なのです」

本作はネットフリックス作品で、『伯爵』と題されて配信が待機しています。しかし、このスチール写真の見事さよ。スクリーンで見たい。お願いします。

〇『Ferrari』マイケル・マン監督/アメリカ

マイケル・マン監督新作は、20年来温めてきた企画であるという、フェラーリ氏の物語。伝記をベースに、脚色をマイケル・マン自身がトロイ・ケネディ・マーティンと共同で手掛けているとのこと。 

"Ferrari" Copyright STX Entertainment

「1957年夏、F1レースの華やかな場の裏で、元レーサーのエンツォ・フェラーリは危機に直面していた。10年前に妻のローラと築いた会社が倒産寸前だったのだ。彼らは一人息子を失ったことに苦しみ、エンツォは別の女性との間に生まれた子の認知問題も抱えていた。ともかくエンツォはイタリアの公道レース『ミッレミニア』に全力を集中することにする…」

ベネチアとしては嬉しい題材ですね。エンツォにアダム・ドライバー、ローラにペネロペ・クルス。アメリカでは12月25日公開。

 〇『Adagio』ステファノ・ソッリマ監督/イタリア

ソッリマ監督は、激しい犯罪映画を多く手掛けてきている印象です。僕が唯一見ているのは『暗黒街』(15/イタリア映画祭で上映)で、これは経済危機下にあるイタリアを舞台に、政治家と裏社会の人間たちが入り混じり、権力闘争や法案提出を巡る動きなどが連動していく作品でした。きちんと予算をかけた、メジャー系の作品という印象です。それから、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ボーダーライン』(15)の続編、『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』(18)という作品もありました。

"Adagio" Copyright Biennale Cinema 2023

「16歳のマヌエルは人生をエンジョイしつつ、老いた父の世話もしている。しかし、とある者から脅迫され、謎の人物の写真を撮るべくパーティに潜入するはめになる。マヌエルは騙されていると気付き逃げ出すが、事態は手に負えなくなってくる。マヌエルを脅迫した者たちは、彼を不都合な目撃者として消そうとするのだ。マヌエルは、父の旧友であるふたりの元犯罪者たちの保護を頼る」

前作『ウィズアウト・リモース』(21)がマイケル・B・ジョーダンを主演とするアメリカ映画であったことに対し、ソッリマ監督は久しぶりにローマで作品を撮ることに刺激を受けたとコメントしています。主演に、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ(今年のベネチアコンペは『Il Comandante』に続き2本目)、名優トニ・セルヴィッロ、お馴染みヴァレリオ・マスタンドレア(!)、色男アドリアーノ・ジャンニーニなど、嬉しい面々が勢ぞろい。激しい裏社会ものと思われますが、彼らの共演も楽しみです。

〇『Woman Of』マウゴジャタ・シュモフスカ監督&ミハウ・エングレルト監督/ポーランド

シュモフスカ監督が、撮影監督のミハウ・エングレクトを共同監督に迎えた新作です。シュモフスカ監督は何と言ってもベルリンで監督賞を受賞した『ボディ』(15/東京国際映画祭で上映の後に『君はひとりじゃない』の邦題で公開)が鮮烈で、肉体の実存性や死者との交霊などを描きながら、ユーモアも忘れない空気感が唯一無二な個性を発揮していました。ポーランドのトップランナーのひとりと呼んで過言ではない存在でしょう。

巨大キリスト像建設中の事故で顔面に重症を負ってしまう男の運命を描いた、ベルリンコンペの『Mug』(18)も強烈でしたが、一方でナオミ・ワッツを擁した山岳遭難ものの『インフィニット・ストーム』(22)のようなメジャー作品も手掛けています。そして新作は監督が関心を寄せる主題に戻り、真正面からLGBTQ+に取り組み、アート作品に回帰しています。

"Woman Of" Copyright Biennale Cinema 2023

「共産主義から資本主義に移行しようとしている時期のポーランドを背景に、『Woman Of』は、アニエラがトランス女性として個人的に解放されるまでの45年に亘る人生を見つめていく。アニエラは、家族やコミュニティーの厳しい反応に直面するが、本来の自分であるために選択を迫られる」

シュモフスカ監督のコメントには、数年に渡り、多くのトランスジェンダーから話を聞き、信頼してもらえた人々の物語を共有していったとあります。「田舎町に暮らす男性として人生の大半を過ごしたアニエラがトランス女性として解放されるまでの道程は、ポーランドの変遷を象徴しているようでもあり、かつては共産主義を倒すために一体となった社会を反映しているようでもあります。現政権は、他国では新しい規範となっている物事を認めようとせず、偏向しています」 

ハンガリーと並んで偏向した政権下にある現ポーランドに対する監督の怒りが感じられます。タイトルの『Woman Of』とは、偉大な先駆者、アンジェイ・ワイダの『大理石の男』と『鉄の男』からのインスパイアであると言い、つまりワイダ的な「〇〇の女」を連想させる誘いであり、深く唸らずにいられません。「映画がコンテンツに取って代わられたこの時代に、アニエラのユニークな物語を語り、疑問を投げかけ、この問題を扱うジャンルの作品を改めて参照していく必要性を強く感じたのです」

これまたベネチアコンペで屈指の重要作に思えます。 

〇『Holly』フィアン・トロシュ監督/ベルギー

Fien Troch監督の名前表記はフィアン・トロフの方が近いような気もしますが、とりあえずフランス語読みにしてみます。ベルギー出身の女性で、日本での紹介はほぼ無いようですが、既に実績を誇る監督です。『Unspoken』(08)を当時ロッテルダム映画祭で見ましたが、エマニュエル・ドゥヴォスとブルーノ・トデスキーニの夫妻が子を失った痛手から立ち直ろうとする様を描く、静かな良作でした。 

その後、道を外していくブルジョワ家庭の若者たちを描いた『Home』(16)がベネチアの「ホリゾンテ」部門の監督賞を受賞し、以来7年振りとなる長編新作『Holly』のベネチアコンペ入りに繋がっていくことになります。 

"Holly" Copyright Biennale Cinema 2023

「15歳のホリーは、ある朝学校に電話をして、本日は休むと告げる。その日、学校は火災に見舞われ、数名の生徒が命を落とす。悲劇を経験したコミュニティーは、心の傷を癒すべく一体となろうとする。教員のアンナは、ホリーの奇妙な予知能力に着目し、自身が運営するボランティアグループに誘う。するとホリーの存在は、彼女に接する人々に、心の平安や温かさや希望をもたらしていく。しかし間もなく、人々はホリーのエネルギーを求め始め、この若い少女からより多くのものを求めるようになるのだった」

ああ、これまた面白そうだ。ちょっとご近所のオーストリアのジェシカ・ハウスナー監督作品を連想させるけれど、どうだろう。監督曰く「集団が持つダイナミズムが重要であり、登場人物たちの悲しみと狂気が組み合わさった、精神分裂症のような映画体験を創ってみたかったのです」。うん、これは面白そうです。
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以上、ベネチアコンペ、23本を予習してみました。あらためて、なんという豪華な監督陣。
それにしても、23本中、欧米作品22本!唯一の非欧米が濱口監督。中東もアフリカもインドも韓国も無し!この徹底はすごいですね。そして、新人監督もゼロ。

もう、新人発掘なんてベネチアのコンペの役割でないと開き直り、有名監督とハリウッドを迎える姿勢を徹底し、そこにカンヌコンペとの差異化を図っているようにも見えます。ベネチアは他にも部門が多いので、若手発掘や他の地域は他部門に任せ、コンペは豪華主義に徹底するということですね。おそらくカンヌのコンペが同じことをすると、批判が集まる気がします。カンヌもオールスターと揶揄されますが、かなり若手や地域の拡大にも気を配っているのに対し、ベネチアはそういった批判からは比較的自由なのでしょう。

とにかく、姿勢がどうあれ、見たい作品が23本並んでいることは紛れもない事実であり、もうひたすら感嘆するばかりです。そして、賞の行方も気になりますが、来年のアカデミー賞までの流れも視野に入って来るという点からも、ベネチアのコンペは大注目なのでした。 

行きたい!

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